ジョン・レノン、ラスト・インタビュー|未公開版完全翻訳

ローリングストーン誌の表紙を飾ったジョン・レノン(Photo by Annie Leibovitz)

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第一印象というのは概して当たっているものだ。ジョンの場合は礼儀正しく、魅力的かつ華麗で、率直で茶目っ気のある人だという第一印象だった。ジョンがまるで太陽の絵を一所懸命に描く子どものようにメモを取っていた姿を思い出す。彼は30分後に『White Album』のレコーディングセッションの予定が入っていた。そこでインタビューは翌日改めて行うこととなったが、ジョンとヨーコは、イーサンと私をその日のセッションへ招いてくれた。その日はアビー・ロード・スタジオでレコーディングする『Birthday』と『Glass Onion』のセッションが行われた。(ビートルズの他の3人のメンバーが明らかに苛立っているのを感じ取った私は、彼らの気に障らないようにスタジオの巨大なスピーカーの後ろで隠れるように見学した。)

ジョンとは会うたびに新たな発見があった。1971年はニューヨークでジョンとヨーコに偶然出会った。私は友人と映画『Carnal Knowledge(邦題:愛の狩人)』を観に出かけたが、映画館のロビーで2人にばったり出会ったのだ。イッピーの活動家ジェリー・ルビンらと一緒にいた彼らは、ロウアー・イースト・サイドにあるレストランRatner’sへ車で行こう、と私たちを誘ってくれた。レストランでは、長髪の若い男が微笑みながら私たちのテーブルへ近づいてきた。無言でジョンに差し出した名刺には「ヨギ メヘル・ババ」とだけ書かれている。ルビンは名刺の裏に鉤十字を描いて立ち上がり、その男に突き返した。ルビンが戻ってくるとジョンは、そんなことをしても人の意識は変えられないよ、と優しくたしなめた。辛辣で懐疑的な彼も、常に思いやりだけは忘れなかった。

それから約10年。ジョンは変わらず思いやりとウィットに富んだ人だった。「読者に、あなたの今着ているものを伝えたいと思います」と私が言うと、ジョンは「僕が文章を作ってあげるよ」とニヤリと笑いながら続けた。「彼がかけている眼鏡はブラスチック製で、青いフレームのごく普通の眼鏡だ。有名な細いメタルフレームの眼鏡とは全く異なる。あの有名な眼鏡は1973年以降使用していない。彼はコーデュロイのパンツに同じく黒のカウボーイブーツを履いている。1973年にNudie’sであつらえたものだ。上はカルバン・クラインのセーターにミック・ジャガーの破れたTシャツという出で立ちで、Tシャツは1970年位のストーンズのツアー時のものだ。首にかけられた小さなダイヤモンドをあしらったハート形のネックレスは、何年も前に喧嘩の後で仲直りの印にヨーコへプレゼントしたもので、その後彼女からある儀式の最中に彼へ返された…こんな感じでどうだい?」とジョン。

「ところで週明けが締め切りだろ? こんなことをしていないで急いで済まそう。」

ー『Double Fantasy』は5年振りの作品ですが、「The Ballad of John and Yoko」で歌っているように、「2人揃って戻ってきて嬉しい」という感じです。

でも僕が社会から隔離した生活を送っていたなどという幻想は、ジョークだ。僕は普通の人たちと変わらない。9時から5時まで働いて、パンを焼き、子どものオムツを替えたりあやしたりしている。「どうして地下へ潜って隠れていたんだ?」とよく聞かれるが、僕は別に隠れていた訳ではない。シンガポール、南アフリカ、香港、バミューダと、世界各地を旅していた。映画を観に出かけたり、ごく普通の生活を送っていたよ。

ーそれでもここ数年はほとんど曲を作っていませんでした。

それはしていないな…でも子どもを作ることは、僕ら2人にとって大切な出来事だった。子どもを作るために僕らがどれほど苦労して、流産したりヨーコ自身が死にかけたりしたことを、みんなたぶん忘れているだろう。死産やドラッグの問題や、自らが招いた公私のさまざまな問題を抱え、友人たちが手を差し伸べてくれたりした。しかし、そんなことはどうでもいい。ストレスの多い状況に身を置いていたが、10年かけてようやく子どもを持つことができた。僕らはこの幸せをダメにしたくない。僕らは一年間何もせず、テレビに出ている白髪混じりの女性に合わせてヨガをしたりしているんだ(笑)。

Translated by Smokva Tokyo

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