ジョン・レノン、ラスト・インタビュー|未公開版完全翻訳

ローリングストーン誌の表紙を飾ったジョン・レノン(Photo by Annie Leibovitz)


ー遊ぶのが苦手なんですか?

無理だ。そこで考えついたのは、子どもと絵を描き、テレビを見ること。それなら得意だ。体を動かして遊ぶのでなければ、どんなくだらない番組でも我慢できる。彼と話し、本を読み聞かせ、散歩に出て喫茶店に寄ったりといった感じさ。

ーそれは不思議ですね。あなたの絵や曲の多くはとても遊び心に溢れています。

それはたぶん僕というよりポールの作品だね。

ー「Good Morning Good Morning」はどうでしょう? あなたの素晴らしい作品のひとつです。仕事を終えてあてもなく街をさまよう年老いた男の話です。彼は家に帰りたくないが、特に文句もないという内容でした。

ああ、あれはちょっとしたウォーミングアップだった。ペパー(訳註:アルバム『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』)向けの曲を1週間で準備しなくてはならなかったんだ。「Good Morning Good Morning」は、当時流れていたケロッグのコーンフレークのCMをヒントに作った曲で、その頃自分がどれだけ曲作りに嫌気がさしていたかがわかるよ。

『Lennon Remembers』(編集註:1970年に行われたヤン・ウェナーとの伝説のインタビュー)やプレイボーイ誌の最新インタビュー(編集註:1980年9月8〜28日にかけて行われたデヴィッド・シェフとのインタビュー)を読み返してみると、曲作りが辛い、苦しいと常々愚痴っていたことがわかる。僕の作ってきた曲は、ほとんど全てが拷問のような苦しみの中から生まれたものだからね。

ーほとんどが拷問だったのですか?

その通り。曲作りの時は毎回、これは意味がない、これはカスだ、これはよくない、これはピンと来ない、これはゴミだ…という感じで、たまにいいなと思っても結局は「何じゃこりゃ?」という具合だった。

ーある意味で産みの苦しみといったところでしょうか。

とにかく酷い状態だった。「ああ辛かった。正に四苦八苦だ」と感じるだけだった(笑)。10曲かそこらは、パッと閃いて作れたこともある。

ー『Double Fantasy』用の楽曲は容易に生まれましたか?

そうでもない。実際には5年かかった。5年間の便秘の後で3週間の下痢状態さ(笑)。実際の作曲作業は3週間かそこらだった。ヨーコに教えてもらった禅の話がある。確かローリングストーン誌かプレイボーイ誌のインタビューでも話したと思う。ある王様が画家のところへ使いを送って絵画の製作を依頼し、金も支払った。画家は「OK、また来てくれ」と言った。1年後、使いがやって来て「王様が絵の完成を待っている」と告げると、画家は「ああ、ちょっと待ってくれ」と使いの目の前でサラサラと絵を描き上げた。渡された絵を見て「何ですかこれは。王様はたった5分でやっつけたこんなゴミクズに2万ドルも払ったのですか?」と詰め寄る使いに対して画家は、「そうだよ。でもその前に10年かけてじっくり構想を練っていたんだ」と答えた。つまり僕の場合も、5年間という時間がなければ『Double Fantasy』の曲は書けなかったということさ。


この時ヨーコが部屋に入ってきて、ジョージ・ハリスンを名乗る男が電話で来て欲しいと言っている、と告げた。「もちろんジョージ本人じゃないさ」とジョンはつぶやいた。「電話の相手はトリップしていたみたい」とヨーコは言う。「“ちょっと聞いていい?”って言ったら相手は“ノー”って言うのよ。“ヨーコ、そんな暇はない”だって。だから電話を切ってジョージの電話番号へ掛けたら、本物の彼は寝ていたわ」。それを聞いて私は笑い出した。「僕らも笑いたいよ、まったく。こんなことは笑い飛ばさずにいちいち相手をしていたら、身が持たないよな」とジョン。

部屋へ来たついでにヨーコは、日本版プレイボーイの最新版をジョンに渡した。2人の記事が特集されていたのだ。「僕らの子どもは後ろ姿だけ写っているのはありがたいね」と雑誌の中の1枚の写真を見てジョンは言った。「ショーンの写真は出回って欲しくない。スターの多くは子どもができると、“子どもができました”と喜んで表紙を飾りたがるが、僕は興味ないね。危険だ。もちろん僕らはその辺のトムやディックスやハリーといった一般の人にはなれないし、狭いコテージに住んでいるふりもできない。また僕らの子どもも普通の子どものようには育てられない。ジュリアンの時にそうしようとして、初めは彼を労働者階級の通う公立学校へ通わせた。だけど有名人だったから、当然のようにいじめられた。当時の妻はついに我慢できなくなり、“彼は私立へ通わせるわ。こんな所では彼がダメになってしまう”と怒った。」

ジョンはヨーコに渡されたプレイボーイのページをめくり始めた。「この雑誌の半分は日本の女の子のおっぱいだらけだ。見てみろよ」と言ってジョンは私に写真記事を見せてくれた。「みんな可愛い。日本ではアソコを露出することは禁止されているから、胸だけだ。キリスト教が伝来する前の日本は、完全にフリーセックスの国だったんだ。タヒチ人のようにね。別にわいせつな意味ではなく、彼らにとってそれが自然だったんだ」とジョンは言う。「キリスト教徒がその状況を変えたのでしょうか?」と私が尋ねると、ジョンは「そうさ。キリスト教では自由にセックスもできない。ユダヤ教もそうさ」と答えた。「そうかもしれないですね」と私が同意すると、彼は「ゴメンゴメン、気にしないでくれ」と私の肩をポンポンと叩いた。「さあ、次の話に行こう。何でも聞いてくれ!」

Translated by Smokva Tokyo

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE