フルカワユタカの挫折と仲間との出会い、ソロ活動7年間を振り返る


──その時期は、どんなことを考えて、どんなふうに過ごしてたんですか?


自分の音楽人生の中で、いちばんの地獄はその2年間だったかもしんないですね。ソロになった時、一回事務所を離れたんだけど、ファーストのツアーのあと、事務所に戻って。お給料はもらってたから、生活はできるし、音楽以外の仕事をしてたわけでもないんですよ。って、ハタからきくとすげえ幸せにきこえるかもしれないけど…… 健康で、おカネはもらえていて、制作はしてるんだけど、ライブができないという時期が2年弱あった、それは想像を絶する大変さでしたね、ほんとに。

──それは状況的にライブができなかった?

そうですね、当時のマネジメントの方針でした。事務所には戻れたんだけど…… 僕は、ライブをやりたいとか音源を出したいとか、何回も言ったんですよ。言ったんだけど、ビジョンがないままやるわけにはいかない、それだと状況的に下がっていくだけだから、という話で。その時期にミニ・アルバムは1枚出してるし、ワンマンもやってるんですけど、それはDOPING PANDAの曲をやるっていう、『無限大ダンスタイム』という企画で(2015年12月4日、リキッドルーム)。ああいう企画だから、やらせてもらえただけで。とにかくあの2年弱は、なかなかライブができなかったですね。



──その時期から抜け出せたきっかけは、Base Ball Bearにサポートを頼まれたこと?

完全にそれですね。俺、当時、ホームページにブログを書いていて。ベボベ(Base Ball Bear)に誘われる直前のブログ、チャーハンの作り方とか書いてるんですよ。音楽で書くことないから。で、最後に「ライブしたいライブしたいライブしたい!」って書いて、終わっていて。ベボベに誘われた後からは、ブログの内容も変わるし、BARKSでコラムも始まって、今に至るんですけど。あの時ベボベに誘われなかったら、どうなってたんだろうな、と思います。

──で、確かに、そのあと作ったサード・アルバム『Yesterday Today Tomorrow』から、ガラッと変わるんですよね。

そう、TGMXさんにプロデュースしてもらったのもあるけど、セカンドとは違って、曲を寄せ集めたんじゃなくて、アルバムを作るっていうコンセプトがしっかりあるんですよ。ガラッと変わります、そこは。

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