新型ウイルスの恐怖を描いた映画『コンテイジョン』が再注目された理由

『コンテイジョン』がいますぐ観るべき・見返すべき作品と言われるようになった理由は、ウイルス誕生後に描かれる世界とウイルス誕生にいたるまでの時系列にあるのかもしれない。同作はパニック映画であると同時に、パンデミックが広がる様子を描いたマニュアルなのだ。いつ、どこで、どのように、なぜ、そして最重要事項である『次に何が起きるか?』を明確にチャート化した作品である。劇中の米国疾病予防管理センター(CDC)と世界保健機関(WHO)の代表たちは優秀で、頭脳明晰で、手際が良い。彼らは一丸となって優れた頭脳を総動員する。ケイト・ウィンスレット演じる医師は自らの命を危険にさらし、エリオット・グールド演じるサンフランシスコの医療専門家はサンプルを破棄せよという上司からの命令に背くものの、最終的にはウイルスの謎を解明する。原因であるコウモリと豚の接触を最初に図式化したCDCの研究員は、慣習を無視して自ら進んでワクチンの実験台となり、それが有効であることを証明する。ジュード・ロウ演じるジャーナリストがブログで恐怖を煽動したり、極限のパラノイアに陥ったマット・デイモンの父親が必死に人を避けたりするシーンに対し、私たちの良心の存在を証明してくれるような場面もある。

ウイルス検査ではなく移動規制、失った時間を取り戻すための決断ではなく答えの先延ばし、現代のリーダーが責任を持って行動するのではなく、過去のリーダーが控えめに非難される状況など、本当のところ、私たちが現在置かれている状況は『コンテイジョン』の終盤とは遠い。その点において、同作は現実逃避と言えるのかもしれない。人々がバタバタと死んでいくおぞましいシーンと、危険なネット動画ひとつで社会が無秩序に陥ってしまうかもしれないという感覚を除けば、『コンテイジョン』は希望を描いた作品である。科学者と人間に備わっている良識を信じれば、私たちはうち勝つことができる。壊れたものは、後でまた直せばいいのだ。常識で考えればいい。各々が信じる神に祈るのもいいが、どうか手洗いも忘れないでほしい。同作を観る限り、今後の状況は悪化するだろう。でも、やがては良くなる。人々が同作に群がるのは、今後数カ月で起きることを知りたいからかもしれない。『コンテイジョン』が与えてくれる最後の一筋の希望の光がいまほどふさわしいタイミングはないのだ。

Translated by Shoko Natori

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