NYの作家が見た失業者の現実「申請殺到でサーバーダウン、毎週電話で報告義務」

3月初めにアメリカ国内の企業が休業するようになって以来、数百万人が失業の憂き目に遭っている(Photo by Spencer Platt/Getty Images)

米ニューヨーク在住の作家兼バーテンダー、ケリ・スミスは、2020年になってようやく人生の軌道に乗ったと感じていた その矢先に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界中を襲った。

3月13日の金曜日、私が働いていたバーがシフトの途中で店を閉じ、午後6時頃、スタッフ全員が突然一時解雇された。私はシフトに入っていた友人からその知らせを聞き。その後受け取ったメールには、失業保険に申請できるよう、従業員はこれをもって一時解雇とする、という旨が書かれていた。

今朝方ふと気がついたのだが、今日3月26日(木曜日)で、過去10年の間で働いていない最長記録を更新したことになる。結婚式やハネムーンの時よりもずっと長い。あの金曜日、同僚や会社から届いたメールは私をひどく消沈させた。――ずっと前から、新型コロナの感染拡大でいつかニューヨークの飲食業はこうなるんじゃないかと心配だった。最悪の事態を気に病んで、友人たちをウンザリさせていた。仕事がなくなったらどうやって家賃を払えばいい? どこに引っ越す? そもそも引っ越しなんてできるだろうか? 母親のところに戻って暮らそうか? そしてついに自分の番が巡って来たようだ。このときまでは、労働時間は減るにしても仕事は維持できるだろうと望みをかける人がまだ大勢いた。だが私は打ちのめされた気分だった。2日間ベッドから起き上がれず、誰とも話す気になれなかった。それだけこの仕事を心から愛していたのだ。

私はバーテンダーの仕事に向いていた。34歳で、まさか自分がバーでフルタイムで働いていようとは想像もしていなかった。ニュースクール大学では韻文で美術修士号を取得していたので当然作家になるつもりだったが、大学院に行く前からバーで働いていた。大学院に通うようになってからも家賃を払うためにバーで働き、卒業後もそのまま続けた。サービス業の人間はみな「次のステップ」を待っていると思うが、私の場合、白昼夢を別にすれば、自分の「次」がどうなるのかわからない。

私の友人たちと同じように、この業界の人はみないくつもの顔を持っている。昼間はブランチの給仕係かもしれないが、午後には脚本を書いていたりとか。私もバーテンダーであると同時に、作家だった。今回のことが起きてから毎日書いているが、作家として執筆に専念したいと思い描いていた形とは全く違っていた。2018年には詩集を出版した。Hanging Loose Press社の編集アシスタントとしての仕事もあるが(ただし無給)、読むものに困ったことは一度もない。好きなことが2つもあるなんて幸せだと思う。サービス業が私の居場所だった。仕事が得意だったからというのもあるが――テーマに合わせてカクテルメニューを作るのはお手の物――お客や同僚、人間が大好きだったのだ。今年、私はようやく軌道に乗ってきたという気がしていた。大好きなバーの仕事をし、日々ドリンク担当から手解きを受け、他のスタッフに伝授する。そんな矢先に街が封鎖された。34歳で、まさか自分が失業手当に申請することになるとは想像もしていなかった。

バーが閉店した次の月曜、私は朝から手続きを始めた。以前からニューヨーク市の社会保障制度を高く買っていたので躊躇することはなかったが、1日で終わらせることはできなかった。ネットから申請するのだが、もう少しで完了というところでタイムアウトしてしまうのだ。今ではみんな知っていると思うが、一旦タイムアウトになると、また一からやり直さなくてはならない。友人たちからも同じような内容のメールが届いた。あまりにも多くのアクセスが一度に集中したせいだろうと思った私は、翌朝火曜日に早起きしようと目覚まし時計をかけた。ところが火曜日の朝、夫の働いていたバーが次の日には完全閉店するという知らせが届き、私は家賃の支払いのことでパニックを起こしかけた。うちでは月の半ば頃になると翌月分の家賃を払うお金がないので、次の週末は忙しくなる。浪費しているのではなく、これがサービス業で働く人々の現実なのだ。1回1回のシフトが大きな意味を持つ。

Translated by Akiko Kato

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