YMO、岡村靖幸らに携わってきた史上最強のA&R・近藤雅信のキャリアを辿る



田家:続いて5曲目、YMOで「君に、胸キュン。」。1983年3月に発売になりました。作詞は松本隆さん、作曲はYMO。これが選ばれているのは、ちょっと思いがけなくもありました。

近藤:これは忘れられない曲ですね。1982~1984年くらいの頃、YMOの3人は歌謡曲フィールドでとても活躍されていて、目の前で3人が歌謡曲のポップスを作る様子をずっと見ていたんですよ。うちの会社も作って欲しいなってずっと思っていて(笑)。松田聖子さんの「ガラスの林檎」であったり、「ハイスクールララバイ」であったりみたいなアイドルをアルファがやっていたわけじゃないし、歌謡曲を一生懸命やっていたわけでもないですから、なかなかそういう機会がなかったんですよね。せっかくそういう風にYMOの3人が活動しているのにアルファではないから、歌謡曲フィールドのノウハウを使って、それを飲み込んでやってみるっていうことを自分がやってみたくて。これが出来たときにはとても嬉しかったですね。

田家:カネボウのCMソングでしたが、たまたまオファーがあったんでしょうか。「胸キュン。」っていうのはCMのキャッチフレーズでしたよね。

近藤:これはCMが決まってから作った曲です。「君に、胸キュン。」は当時のカネボウのキャンペーンのコピーで、その時代はレコード会社でのタイアップ時代の中でも化粧品のタイアップは資生堂、カネボウの2社がチャートでデッドヒートを繰り返しておりまして。

田家:松本さんの特集をした時に、彼は、これは、細野さんの方から松本さんに「1位になりたいんだよ」という話をされたって仰ってましたけどね。

近藤:そうかもしれません。僕は現場にいなかったのでわからないんですけど、最後にちょっとカラフルなことをしてみようかっていう。3人ともシャイですし、売れたら嬉しいかと思ってくれると思うんですけど、どうしても1位をとりたいという感じじゃなかったと思います。

田家:松田聖子さんの「天国のキッス」も松本・細野コンビの曲が1位で、「君に、胸キュン。」は2位だったんですよ。松本さん曰く、その辺が細野さんの甘いところなんだよって。

近藤:あははは。そうかもしれませんねえ。1位と2位じゃちょっと違うんだよなあ。

田家:ということもありました。YMOは1982年の段階で解散が決まっていたんだけど、レコード会社の意向もあって1983年も活動したという情報がありますが。

近藤:僕の昔の上司が言っていましたけど、1980年台前半は近藤の人生はYMOだったって。最近そういうことをインタビューで読んで、まあそうだったなあって思います。人生そのものですよ、それくらい強かったし。色々な思いが交差しましたよ。

田家:でもやっぱり続いてほしかった?

近藤:続いて欲しかったけど、YMOってバンドというよりはプロジェクトというか集まりみたいな感じだと考えていた方がいいかもしれない。バンドっぽいところもあるし。不思議な存在なんで。でもここ10年くらい時折やられたりしているから、今考えるとああいう時期があって今があるんだなと思いますけどね。

田家:近藤さんは今、岡村靖幸さんを全面的にプロデュースされていますが、YMOで経験したことは岡村さんにも活きたり繋がったりしていますか?

近藤:YMOで経験したことは、その後の仕事全部に結びついていると思います。当時は原宿にカルデサックっていうレストランがあって、よくそこに食事に行ったりしていたんですけど、そこで色々な人に出会うんですよ。糸井重里さん、仲畑貴志さんとか、鋤田正義さんとか。本当に多彩な方々との交流が生まれて、そこにムーンライダーズとかプラスチックスとかミュージシャンもいて、会話の中でアイディアが生まれたり。側から見ていて、こういう風に物事って生まれていくんだなって思ったし、作品を作るときにコンセプトを考えて、ジャケットは誰だ、カメラマンはヘアメイクは誰にするか考える作品の作り方とか、全部3人に教えてもらったと思います。そのフォーマットは今でも変わってないです。

Rolling Stone Japan 編集部

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