cero・髙城晶平×Suchmos・YONCE、2010年代を切り拓いた両雄の視点

髙城晶平とYONCE(Photo by Masato Moriyama)

Shohei Takagi Parallela Botanic名義で1stソロアルバム『Triptych』を発表したばかりのcero・髙城晶平と、昨年9月に実施した地元・横浜スタジアムでのライブを収めた映像作品『Suchmos THE LIVE YOKOHAMA STADIUM 2019.09.08』を6月10日にDVD/BDでリリースするSuchmos・YONCE。昨年12月25日発売「Rolling Stone Japan vol.09」の特集企画「Music of The Decade  2010年代を語ろう」で実現した、夢のフロントマン対談をお届けする。

2017年1月25日、新木場STUDIO COASTで行われた『THE KIDS』のリリースパーティーで、ceroの髙城晶平が「Suchmosが出てきてくれたおかげで、自分たちのやるべきことがはっきりした」と話したことは、今でも鮮明に覚えている。一部では「東京インディ」と呼ばれた2010年代前半のコミュニティ的な空気の中から登場したceroが、偶然と必然の巡り会わせで時代の顔役になった一方、彼らが作り上げた土壌の中から、2010年代後半の新たな価値観を持って現れたのがSuchmosであり、あの日は2010年代の日本の音楽シーンを象徴するバトンの受け渡しが行われた日だったように思うのだ。あの日がなかったら、ceroが『POLY LIFE MULTI SOUL』で音楽的な深化を見せることも、Suchmosが『THE ANYMAL』を経て横浜スタジアムに3万人を集めることも、なかったかもしれない。2010年代を語る上でどうしても外せない「シティ・ポップ」というワードの再検証も含め、ceroの髙城晶平とSuchmosのYONCEに2010年代を振り返ってもらった。

●【対談撮り下ろし】写真4点


「やるべきことがはっきりした」
髙城の発言、その真意を問う

ー2010年代を振り返るにあたって、まずは2017年1月の『THE KIDS』リリース当日に新木場STUDIO COASTで行われたリリースパーティーの話から始めたいと思います。「STAY TUNE」が盛り上がり、「いよいよSuchmosのニューアルバムが出る!」というあのタイミングで、対バンにceroを呼んで2マンを開催したのはどんな意図があったのでしょうか?


YONCE:そもそものきっかけとしては、その1年前に恵比寿LIQUIDROOMの深夜イベント(「HOUSE OF LIQUID」)で初めて一緒になって、ceroがすごく刺激的なライブをしていて……「悪いもん見たな」というか、危ないものを見た感覚があって(笑)。ミュージックビデオとかではそんな様子を見せてない人たちが、ライブでこんな風に化けるのがすごくかっこいいし、自分たちもこうありたいなって思わせてくれたんです。なので、このやべえライブをもっといろんな人に見てほしいと思ってお声掛けしました。

ーシンパシーを感じる部分もありましたか?

YONCE:ミュージックビデオに江の島のOPPA-LAが出てきたり(「Orphans」)、そういうところでのシンパシーは感じてました。似たような遊びをしてたり、似たようなことに関心を持ってる人が、こんなかっこいい音楽を作って、オシャレなイケてるビデオを撮ってるのは、参考にできる部分がいっぱいあるなって。



ー髙城さんがMCで「Suchmosが出てきてくれたおかげで、自分たちのやるべきことがはっきりした」と言ってたのがすごく印象に残っていて。ライブでのMCだから、パッと出ただけなのかもしれないけど、それでも結構重い言葉だと思ったんですよね。

髙城:僕、基本的にMCてんでダメな男で(笑)、そのときのMCもどうだったか怪しいもんなんですけど……そう言ったのは、自分の個人的な話だったとは思います。俺らが1stアルバム『WORLD RECORD』を出したのは2011年1月で、まだ2000年代の空気が濃厚に残ってて、すごく牧歌的だったんですよね。俺の認識では、それまでの「インディーズ」って、高円寺の円盤とか八丁堀の七針とか、ごくローカルな音楽を指す意味合いが強かったと思うんです。どちらかというと、スキルよりアイデア、ディスカッションの時代というか。で、ceroもそうやってワチャワチャやってたバンドで、コンセプトも特に決めずに入っていて、そのままの流れで作ったのが1stとか2nd(『My Lost City』、2012年10月発売)だったんですけど、3rd(『Obscure Ride』、2015年5月発売)で初めてスキルが必要になってきた。何となく感じてたんでしょうね、2010年代は牧歌的な雰囲気じゃなくなっていく、もっとシビアな感じになっていくって。2015年前後にはもうそういう予感があって、それで『Obscure Ride』に着手していったような記憶があります。

ーなるほど。

髙城:で、思った通り、デビュー時からしっかりと「自分たちはこういうものを提示したいんだ」っていうものを持ってるバンドがどんどん出てきて、それこそ「HOUSE OF LIQUID」でSuchmosがめっちゃ盛り上がってて、俺、結構喰らっちゃったんですよね。「すごい時代が来るな」って。本当に個人的な話ですけど、『Obscure Ride』はお母さんが亡くなったり子供が生まれたりした間にできてるもんだから、個人的な喪失感もあって、「これからのハイエナジーな音楽の時代に残っていけるのか?」みたいな、結構グラついちゃって。でも、そこから『THE KIDS』のリリパに呼んでくれるまでの間に、自分の中で考えがまとまってきて。自分たちは2000年代後半の牧歌的な雰囲気から出てきて、幼虫のまんま、子供っぽさを残したままここに来れたというのが強みだから、そこを切り捨てることはないなって、何となく思ったんですよね。それでさっきのMCをしたんだと思うんです。

Edited by Yukako Yajima

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