史上最強のA&R・近藤雅信、東芝EMI時代の清志郎、渋谷系を語る

田家:先週、音楽人生のかなりの割合でYMOがいろんなことを教えてくれて、そこから始まっているという話がありました。YMOと岡村靖幸さんの繋がりっていうのはありそうですか。

近藤:7、8年前に「ワールドハピネス」に岡村くんが出演をさせていただいて。そのときに3人は初めてライブを観たんじゃないかと思います。おもしろいと言ってもらえて嬉しかったですけど。

田家:近藤さんの中ではYMOがあって、岡村靖幸がいるっていう。時代は離れるんですけど、音楽の流れで受け継がれているものってありそうですよね?

近藤:ポピュラーミュージック、ロック、クラシックもそうかもしれませんけど、先達の優れたものを次の世代にバトンタッチするみたいな側面があるので、そういう要素はあると思いますね。それはYMOだけではなくて、海外で言ったらマイケル・ジャクソンとかいろいろなブラックミュージックのアーティストだったり、ビートルズだったり、日本でもいろいろな歌謡曲のアーティストだったりに岡村くんは影響を受けていますから。その中の一本の筋みたいな形じゃないでしょうか。

田家:岡村さんの話は4週目にじっくり伺おうと思っているんですが、先週はアルファレコードの話が中心でありました。そして85年に東芝EMIに移られるわけです。

近藤:最初の仕事は、本田美奈子の武道館ライブかなにかに行ったのかな。好きだったんですけど、なかなか接する機会がなかった。アイドル好きでしたし。

田家:今までやれなかった場所ができたという感じはありました?

近藤:そうですね。アルファよりいろいろなジャンルのミュージシャンが所属しているし、いろいろなタイプの人がいたから。

田家:80年代後半にかけての東芝EMIを代表するロックバンドというとBOØWYになるわけですが、近藤さんが今週選ばれた1曲目。93年7月発売、布袋寅泰さんで「さらば青春の光」。



田家:いい始まりですね。

近藤:そうですね。聴き惚れています(笑)。当時BOØWYを解散して、『GUITARHYTHM』というアルバムを出して、ヒムロックは自分のソロを出した。僕はそれまでは宣伝時代にBOØWYは音楽専門誌とかで担当させてもらったりしていたんですけど、ちょうど人事異動で制作部長になって、布袋くんがそこのセクションに所属するようになったんです。上司が石坂さんで、布袋寅泰ソロ名義でヒットシングルを作りたいと思った。そこに萩原健一さん主演の『課長サンの厄年』っていう夜9時のドラマ東芝日曜劇場のタイアップが決まって。スマッシュシングルを作るんだということで布袋くんと作戦を練って作った曲がこの曲なんですよ。80万枚くらい売れて彼の最初のソロの代表曲になった。そういうのって一回作ると癖みたいなものが出てきて、そのあと「スリル」とか流れでいい曲ができてきた。そういう時代の幕開けですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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