史上最強のA&R・近藤雅信、東芝EMI時代の清志郎、渋谷系を語る



田家:近藤さんが選ばれた2曲目です。サディスティック・ミカ・バンドで1989年のシングル「Boys & Girls」ですね。

近藤:サディスティック・ミカ・バンドは僕がとても好きなバンドだった。85年くらいに東芝に高中(正義)さんがいたと思うんですけど、そのあと加藤さんが契約して、小原礼さんがいて、そのときからもう一回ミカバンドをやりたいということが僕の中でムラムラあった。(高橋)ユキヒロさんもいたし、当時は高中さんの事務所の社長だった岡部(良夫)さんという方がいらっしゃったんですけど、岡部さんと作戦を練って作ったのがこのプロジェクトですね。

田家:1985年に「ALL TOGETHER NOW」が国立競技場であった。吉田拓郎、オフコース司会でいろいろな人たちが登場する中に、はっぴいえんども再結成されて、サディスティック・ミカ・バンドはミカさんの代わりにユーミンが入って、サディスティック・ユミ・バンドでライブをやった。そういうのもここにつながるきっかけになっているのかなと思うんですけど。

近藤:「ALL TOGETHER NOW」で「今だから」という曲があったじゃないですか。

田家:財津(和夫)さんと、小田(和正)さんと、ユーミンで。

近藤:あれは、レコーディングメンバーが、ドラムがユキヒロさんで、ギターが高中さんで、キーボードが坂本龍一さん。やったときに、ものすごくよくて。レコーディングもよかったし、作品もいいものができたし、とにかくメンバーから出るエネルギーがすごかったんですよね。レコーディングに立ち会っていたんです。どうしてそこに居合わせたのかは覚えていないんですけど、その頃からずっとできたらいいなと思っていたんです。

田家:二代目の後藤さんに代わって、オリジナルメンバーの小原礼さんが復帰して、ヴォーカルが桐島かれんさんになって、再結成が実現したというアルバムですね。『天晴』。先行シングルが「Boys & Girls」だった。再結成のときのやりとりも全部ご存知なんでしょうか。桐島かれんさんを入れるとか。

近藤:そうですね。加藤さんのアイデアだったと思うんですけど、全然ビビらないというか。華もあったし、ボーカルの魅力もすごくあったし、ミカバンドのボーカリストとして持っていてほしい要素をいっぱい持っていた。

田家:作詞が小原礼さんと森雪之丞さん、作曲が加藤和彦さん、高橋ユキヒロさん、小原礼さん。以前、加藤さんの特番を追悼で作ったときに、小原さんにお話を伺ったことがあって、小原さんの中で『天晴』は特別なんだよねって。何が違ったかというと、一緒にやった感じがしないんだって言われていましたね。スタジオで一緒に作った感じがあまりないんだよねって。

近藤:後半のYMOなんかもそういう感じでしたね。礼さんはバンドっぽい音楽をずっとやられていた方だから、そう感じたんでしょうね。『天晴』ってタイトルは礼さんですよ。「これ、『天晴』でしょう!」って(笑)。

Rolling Stone Japan 編集部

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