90年代のニューヨークの夜はヤバかった 伝説的クラブの元経営者が追想

ピーター・ガティエン。1987年撮影(Photo by Brendan Beirne/Shutterstock)

米ニューヨークの伝説的なクラブの一つ、ライムライトをはじめ、クラブUSA、パラディウム、トンネルなど、いくつものナイトクラブを経営していたピーター・ガティエン。現在68歳の彼が、自身の歩みとコロナ危機よりももっと前の時代のニューヨークについて語り始めた。

流行は常にピーター・ガティエンが運営する大型クラブのどこかにあった。1990年代の全盛期、ガティエンは巨大な帝国を取り仕切っていた。タイムズスクエアのクラブUSAは滑り台のある、ジャン=ポール・ゴルチエとティエリー・ミュグレーが内装を手掛けた大人の遊び場だった。14丁目には騒がしいパラディウム(現在はニューヨーク大学の寮)。ウエストサイドには、VIBE誌がヒップホップの聖地と呼んだトンネルがあった。最も悪名高かったのが、チェルシーの6番街と20丁目の角に立つゴシック様式の教会を改造したライムライトだ。そんなガティエンはジェイ・Zのラップの一節にも登場する。「Me and my operation runnin’ New York night scene with one eye closed like Peter Gatien(俺たちがニューヨークのナイトシーンを牛耳ってる、片目のピーター・ガティエンみたいに)」

・超満員のダンスフロアと中二階から下りる滑り台(1992年、クラブUSAで撮影)

幼少期に事故で片目を失ったガティエンは、カナダのオンタリオ州出身。製紙業の町で育った労働者階級の子供だった。最新の回想録『The Club King(原題)』に綴られた物語は、ハリウッドで映画化される可能性がある。すでにニコラス・ピレッジ――映画『グッドフェローズ』の脚本で有名――による脚色が進行中で、製作はAmazon Studiosが手がける予定だ。ガティエン本人も、ヒップホップにおけるトンネルの立ち位置をテーマにしたサシャ・ジェンキンス監督のドキュメンタリーの製作に関わっている。

「これだけは覚えとけ」とガティエン。「あの当時のトンネルは、ただのナイトクラブじゃない。ヒップホップ業界そのものだったんだ。店にはデカい看板があったんだ。ある時、トゥパックが外に出て来たと思ったら、銃を出してバン! バン! バン! は? 一体何事だよ? 奴は『お前らみんなぶち抜いてやる!』と言ったわけでもない。ただ看板だけ撃って、そのまま歩き去った。口じゃ言い表せないぐらいクールだった」

 黎明期のギャングスタ・ラップについてガティエンは証言する。

50セントは? 「奴は当時まだガキンチョだった。15か16だったはずだ。バウンサーと揉めてたのをなんとなく覚えているが、店に入れてたよ」

リル・キムは?  「彼女の取り巻き連中はいつも最悪だった……問題児だったね」

彼は著書の中で、ビギー(ノトーリアス・B.I.G.)が死んだ夜のことを書いている。静かに涙を流す2000人の群衆の前で、ファンクマスター・フレックスが「Hypnotize」を披露した。

トンネル以外の彼が所有するクラブにも、プリンスからアクセル・ローズまで、音楽界の様々なカリスマが足を運んだ。

Translated by Akiko Kato

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