ビートルズ伝説の幕開け、『プリーズ・プリーズ・ミー』完成までの物語

午後9時〜9時30分:「チェインズ」

オリジナルは、ニューヨーク市出身のR&Bのガールズ・グループ、ザ・クッキーズが歌っている。ビートルズが、アメリカン・ポップの隠れた名曲や母国イギリスの珍しい曲を発掘する素晴らしい才能を持っていることを証明した。「マネージャーのブライアン・エプスタインがレコードショップNEMSを経営していたので、僕らはその辺のバイヤーよりもいろいろな楽曲に触れる機会に恵まれていた」とマッカートニーは、アルバム『On Air – Live at the BBC Volume 2』のライナーノーツの中で述べている。特に、1962年12月にレコードを購入し、曲の魅力の虜となったハリスンは、リード・ヴォーカルを志願した。同曲は2テイクをレコーディングし、最初のバージョンがベストとされた。

クッキーズによるシングル版のラベルをよく見ると、同曲は、ビートルズのソングライティング・パートナーシップに大きな影響を与えたジェリー・ゴフィンとキャロル・キングの夫婦の作であることがわかるだろう。きっとビートルズも同じようにラベルを詳しく読んだに違いない。レノンが「マッカートニーと共に、“イギリス版ゴフィン=キング”になりたい」と言っていたというのは有名な話だ。もちろんレノンの名前が先に来るという前提だが。それでアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』の最初のプレスに“マッカートニー=レノン”とクレジットされた時、レノンはすぐさま修正させるよう手を回した。この行為は、彼のコラボレーターであるマッカートニーを傷つけ、後々までしこりを残した。

「僕としては“マッカートニー=レノン”のままが良かったけれど、レノンの方の我が強くてね。僕が何かする前に彼がブライアンと決めてしまったようだ」とマッカートニーは、公式バイオグラフィ『メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』の中で証言している。「それがジョンのやり方だ。彼は僕よりも1歳半だけ年上で、その分だけ彼の方がエラいということだったんだろうね。あるミーティングで“曲のクレジットは、レノン=マッカートニーにすべきだ”という話が出たので僕が、“いや、レノンを先にできない。マッカートニー=レノンはどうだろう”と言うと、皆が“レノン=マッカートニーの方が語呂がいいし、響きがいい”と言うんだ。僕は“わかった、勝手にしろ”と言うしかなかった」



午後9時30分〜10時:「ベイビー・イッツ・ユー」

次にバンドは、バート・バカラックとマック・デイヴィッドによる曲に取り掛かった。マック・デイヴィッドは、有名な作詞家ハル・デイヴィッドの兄である。シュレルズの曲はこの日2曲目で、「ベイビー・イッツ・ユー」には「ボーイズ」の共作者でもあるルーサー・ディクソン(バーニー・ウィリアムズ名義)もクレジットされている。1度スタートでつまずいたが、合計3テイクがレコーディングされ、最後のテイクがベスト・バージョンとされた。楽曲はレコーディングから9日後の2月20日に完成されることとなるが、その際マーティン自らがチェレスタを弾き、ハリスンのギター・ソロにかぶせている。

一日中喉の調子が悪かったジョンの声はいよいよ酷くなり、特に“Don’t want nobody, nobody”の部分では顕著だった。幸いなことに、彼がヴォーカルを担当する楽曲はあと1曲だったが、そこに彼の全身全霊をつぎ込むことになる。


Translated by Smokva Tokyo

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