東芝EMIからワーナーへ ユーミンら時代を彩ったアーティストを近藤雅信が語る



田家:続いて3曲目。コブクロで、2001年3月発売になった「YELL〜エール〜」。この曲はワーナーミュージックからリリリースになりました。

近藤:この前ミュージックステーションに、岡村靖幸さらにライムスターの「マクガフィン」で出演させてもらった時に、コブクロの二人と15,6年ぶりくらいに会ったんですよ。その時のMステの特集が卒業記念ということで「YELL~エール~」を。

田家:観ましたよ。

近藤:すごい久しぶりに会って、リハ中に僕がスタジオ入ったらたまたま二人がいて。本当久しぶりだねってお互いすごい熱いものがありました。今日「YELL~エール~」を聴けて嬉しいよって話しましたね。

田家:近藤さんは東芝EMIを離れてしばらくロンドンに行っていましたね。

近藤:1年くらい行ってましたね。ロンドンではヴァージン・レコードっていうところに行ったんですけど、その前に年に4回くらい(忌野)清志郎さんとか布袋(寅泰)くんのレコーディングで行く機会があって。行く度にレコードビジネスのオリジナルというものにタッチしたいなって思うようになっていったんですね。やっぱ、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンだなと思っていましたね。その中でもロンドンが自分の肌に合うなと思って、ヴァージン・レコードには用もなく結構行っていたんですよ。行く度に、向こうのA&Rのヘッド兼マネージングディレクターで今はCapitalの社長をやっているアシュレイ・ニュートンっていう人がいて、その人のところにブロークンイングリッシュで話をしに行っていて。俺を置いてくれないか、1年間くらいここにいたいんだよねっていう話をしていたんです。そしたら東芝EMIの社長にその話が伝わって、そんなに行きたいなら一年間行ってきなさいということで行かせてもらったんですよ。

田家:ヴァージンにデスクがあって。

近藤:ヴァージンのA&Rって一人一部屋あるんですけど、そこで一部屋あてがわれて1年間いましたね。

田家:何をされていたんですか?

近藤:英語はそんなに喋れないし、日本人は僕一人だったんです。人事部長に、あなたの英語はひどいから語学学校に行きなさいって言われて、最初の頃は午前中は英会話学校に通って、午後は会社で会議に出たりしてるんですけど、全く何言ってるか分かんないんですよ。でも、へこたれずに会議に出ていると、少しづつ分かってきて。インターナショナルの会議に行くと、例えば日本なら関西地区は何枚、東北地区は何枚ってデイリーで数字が出てくるんですけど、イギリスだと全世界の数字が出てくるわけですよ。ノルウェーで何枚、アメリカで何枚とか出ていてすげえなと思って。

田家:スケールが違いますね。

近藤:それで会議に出ている人は所属しているアーティストのプロモーションで、各国とコンタクトを取るんですよね。A&R はA&Rでミーティングがあるんですけど、それを見て学んだりもしたし。ちょうど日本が注目を浴び始めていた頃でエヴリシング・バット・ザ・ガールがアルバムジャケットに日本語を使ってみたりしたし。僕が行ったのは1996,97年くらいなんですけど、ドラムンベースがすごい流行り始めた時期で。ヴァージン所属のフォーテックっていうアーティストが、宮本武蔵の二天一流からとった「二天一流」っていうトラックを作ったんですよ、ドラムンベースで。

田家:へえ。

近藤:日本でサムライに出てもらってPVを作りたいって言われて。それをコーディネーションしたり、当時スパイス・ガールズがちょうどデビューする時期だったので、彼女らは日本向けのプロダクトだからどの曲がシングルにいいと思う? っていう相談に乗ったりしていましたね。

田家:そして、日本に帰ってきて東芝EMIからワーナーに行かれるわけですよね。その話はこの曲の後に伺おうと思います。近藤さんが選ばれた3曲目。2001年のコブクロのデビュー曲「YELL〜エール〜」です。

田家:この曲は最初どういう風にお聴きになったんですか?

近藤:デビュー曲なんですけど、インディーズ時代にはなくて。その頃から彼らは「桜」とかいい曲をいっぱい持っていましたけど、この曲は契約してからできたものです。例えば、ワーナー・ブラザーズにレオナルド・ワーロンカーっていう敬愛しているプロデューサーがいて。その人はリトル・フィート、ランディ・ニューマン、ライ・クーダーなどをやりながらも、フリートウッド・マックとかロッド・スチュワートなどメインストリームの音楽をやっていてバランスの取れた人なんです。僕にとってはコブクロっていうプロダクトはフリートウッド・マックみたいなきちんとした作品を作るアーティストなんですね。

田家:路上は観に行かれたんですか?

近藤:僕が行った時は、既にZeppがいっぱいでしたね。知り合いに紹介されて見に行ったんですけど、大阪のZeppがいっぱいで。えーって言うくらいステージもきちんとしていたし、お客さんとのコミュニケーション能力も、作品制作能力も高くておしゃべりも面白い。僕らは彼らに何かそんな大きなことをしたわけじゃなくて、笹路(正徳)さんっていうプロデューサーを提案したくらいで。黒田君の表現力の高さと、それと小渕くんがすごい制作能力の高い人でしたね。

田家:で、狙ったような成果は出たというわけですね。お聞きいただいたのは3曲目、コブクロ2001年のデビュー曲「YELL〜エール〜」でした。

Rolling Stone Japan 編集部

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