東芝EMIからワーナーへ ユーミンら時代を彩ったアーティストを近藤雅信が語る



田家:エレファントカシマシ、2007年のヒット曲「俺たちの明日」。これもユニバーサル移籍第一弾でしたね。その前は東芝EMIでしたが、これはどういう関わり方だったんでしょうか?

近藤:この理由は2つあって。1つは、東芝EMI時代に長渕剛さんと仕事をしていて、「勇次」っていう曲がすごく好きなんですよ。あの歌が自分の中でリフレインしていた。ああいう曲を僕は男歌って呼ぶんですけど、男歌を作りたいなって2000年くらいからずっと思っていて。大体そういう時は妄想するんです。それが、ウルフルズのトータス松本さん、奥田民生さん、エレカシの宮本くんだったんですよ。その辺の人と男歌を作りたいっていうのがあった。で、前々からエレファントカシマシが所属する事務所に宮本くんのソロをやらせてくれないかっていう話をしていたんです。

田家:この前リリースされましたね。

近藤:そうですね。宮本くんの声が好きだったので、やらせてくれないかって話していたのと。もう1つは、僕が45過ぎてから中学の同窓会に出始めたんですよ。昔の友達と年に1回くらい会うようになっていくうちに、それぞれ分かれてきたけど元気にやっていて、こういう人達にエールを送りたいなって思ったんです。その2つがあって、提案してだいぶ経ってから事務所の社長から「じゃあエレファントカシマシでその企画やんないか?」って言われて、ぜひぜひという風になり、それから宮本くんと会って酒を飲みにいくようになったんですよ。こういう曲作りたいんだよっていうのを彼に熱心に酔っ払いながら話して。それで、宮本くんがしょうがねえなって作ってくれたのがこの曲なんです。

田家:近藤さんのために書きましたよみたいな(笑)。

近藤:そこまで言うんならと思ってくれたのか書いてくれたんですよ。それがこの曲です。

田家:でも彼もこの曲で一皮剥けた感じありましたもんね。エレファントカシマシもエピック、ポニー・キャニオン、EMIとレコード会社が変わる度に、新しい何かを掴みながらキャリアを積み重ねてきた。エピック時代も大変なことはありましたし。その中で、今までのキャリアの中で思うように結果が出なかった人たちに対してのプロデュース、ディレクションの仕方って独特なものがあるんじゃないですか。

近藤:苦労しているかどうかは、それぞれ事情が違いますけど、大事なのは僕が好きかどうかですね。作品は残るものだし、自分が聴きたいものを、僕が作れないからこういうの作ってってお願いしているうちに20,30年も経っちゃったなっていう感じですね。

田家:僕らも同じだなって僭越ながら思いましたね。自分が作れないからこそ聴きたい曲に出会いたいということだなと思っております。近藤さんが選ばれた6曲目、エレファントカシマシで「俺たちの明日」。

田家:さっき話に出た宮本さんのソロアルバムは、先日『宮本、独歩。』というタイトルでリリースされました。

近藤:宮本くんとは今年の頭にご飯を食べましたね。すごく良い顔してました。たまにそうやって会う人もいれば、コブクロみたいに15年ぶりにバッタリっていうこともありますけど。機会があれば皆会いたいですけど、みんな忙しいですからね。

田家:そのうち近藤フェスとかあったりするかもしれませんね(笑)。

近藤:前回、前々回を聴くと、もう総集編だなっていう気がしてしまうんですよ、俺もう終わってるかもって(笑)。

田家:終わっていないという証明が来週のトークテーマですね。お聴きいただいたのは、エレファントカシマシで「俺たちの明日」でした。

Rolling Stone Japan 編集部

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