ウガンダ発、独裁政権と対峙する音楽コミュニティの力

「ピープル・パワー」をスローガンに掲げて活動するボビ・ワイン(Photo by Isaac Kasamani/AFP/Getty Images)



ウガンダの音楽シーンに革命を起こした男

ワインの曲はまず地元で人気に火が付き、それから外へと広がった。「ほとんどのミュージシャンがナイロビへ行く代わりに俺のスタジオへやって来るようになり、ボビとベベ・クールはグループを組んだ」とヤウェは証言する。ふたりは他のメンバーも加えてファイヤー・ベース・クルーを結成し、一時はゲットー・リパブリック・オブ・ウガンジャを名乗った。

ウガンダのポップシーンにとってのビッグバンだった。1990年代はコンゴのアーティストがウガンダのラジオやテレビを席巻していたが、2000年代に入って状況が変わった。「ボビ・ワイン、ベベ・クール、ホゼ・カメレオンがウガンダの音楽シーンに革命を起こした」と、音楽プロモーターでテレビ司会者のダグラス・ルワンガは言う。ワインを始めとする3人は、ブジュ・バントンやシャバ・ランクスらダンスホールのスターや南アフリカのレゲエアイコンのラッキー・デューべを崇拝し、彼らのスタイルをウガンダの音楽シーンに持ち込んだ。

2007年、ウガンダが主催する英連邦首脳会議へ向けて、政府は首都カンパラの街から物売りや乞食、詐欺師らを一掃した。街のイメージアップを図るためだった。ワインは政府の措置を個人攻撃と受け止めた。それまで彼は、政府に排除された人々をテーマにした曲を書いたことはなかったが、彼自身もその内のひとりだと感じていた。「外国人に気を遣って自国民を排除するなどあり得ない。ましてや隠すことなどできない」と言う彼は、一般市民を見捨てる政府を直接的に批判する『ゲットー』という曲をリリースした。この頃から周囲の友人らは、ワインを「ゲットーの大統領」と呼び始めた。

ドリーム・スタジオ近くの路地裏に、ワインが若きアーティスト時代に暮らした狭い部屋がある。今は若いボクサーが住んでいて、筆者が訪ねると中を見せてくれた。ベッドと机1台で一杯の狭さで、仕切りにシーツを吊り下げている。部屋の外側にアルコーブがあり、奥の壁にはラスタファリ運動の象徴である「ファイヤー・ベース」と書かれた王冠をかぶったユダのライオンが大きく描かれている。ワインはかつてラスタファリアンとされていたが、今はさまざまな信条を持っているようだ。「俺はいろいろなものに傾倒してきた」と彼は言う。「カトリック、再生ペンテコステ派、バハーイ教、ラスタファと、今も全てに深い敬意を持っているんだ。」

ワインがカムヨキャに居住したのは、不幸な成り行きによるものだった。ワインは、ウガンダ内戦中の1982年に生まれた。問題の多い選挙でミルトン・オボテが政権に就いたことに反発し、ムセベニ率いるグループがゲリラ戦で蜂起したのだ。オボテは1966年にも政権を掌握して大統領に就任したものの次第に人気が低迷して、1971年に陸軍参謀長のイディ・アミンが起こしたクーデターにより第一次政権は転覆した。その後アミンは軍を中心とした独裁体制を築いて恐怖政治を続けたが、彼もまた力ずくで政権を追われた。

内戦前のワインの家族は政治活動にも積極的で、比較的裕福な家庭だった。「家族はムセベニを支持していた」とワインは言う。「俺のおじいさんは、ムセベニの抵抗運動に参加して戦死した。家は焼き払われ、父親はオボテ政権に捕らえられて死刑判決を受けた。ただ、汚職が蔓延っていたおかげで、母は父を保釈させることができた」

Translated by Smokva Tokyo

タグ:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE