クラフトワーク、1975年の秘蔵インタビュー「音楽には始まりも終わりもない」

シュナイダーは語る「音楽はずっと続いていくんだ」

ヒュッターとシュナイダーは、西ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州の州都、デュッセルドルフの出身。重工業地帯が広がる谷があったかと思った瞬間、次には美しい風景が広がるという激しいギャップが、彼らの音作りにも重要な役割を演じている。レコーディングした場所もインスピレーションの源になった。「僕らのスタジオは石油精製所のど真ん中にあったんだ」とシュナイダーは目を輝かせて言った。「どこも煙や炎だらけで、スタジオから出るとシューシューというノイズがそこら中から聞こえてくるんだよ」

クラフトワークは今回自腹でアメリカツアーを行っている。Vertigoのアメリカ窓口を担当するPhonogram/Mercuryの支援は受けていない。事実、Phonogramとの契約は数カ月前に切れ、現在再交渉の最中なのだ(Phonogramは3枚の未発表アルバムの権利を所有している)。ヒュッターとシュナイダーは1971年と同じ契約を結ぶつもりはなかった。当時彼らは、ヨーロッパでリリースされた3枚のアルバムの1枚目、『クラフトワーク』のすべての権利をPhilip Records(Phonogramの子会社)に、2000ドルで売却してしまった。


1975年4月19日、米シカゴでのライブ音源

全米ツアーでクラフトワークを見た人々にとって、いつもと違うと感じた一番大きな点は、新メンバーのカール・バルトスとオリジナルメンバーのヴォルフガング・フリューア、2人のパーカッショニストの起用だ。2人はアコースティックなドラムセットを組む代わりに、電子パッドをつなげて、様々なドラムの音色を再現した。シュナイダーも語るように、電子パッドはグループのエレクトロニックミュージックの基盤だ。「僕らは音の発生源という意味で、アコースティックの楽器も、屋外の音も、録音された音も区別しない。結局はどれも電気エネルギーだからね」と彼は言う。

だがおそらく、ツアー自体の評価が賛否両論別れたのは、2人のパーカッショニストの起用のせいだったようだ。お馴染みのクラウス・レーダーのギターとバイオリンはなく(ツアーではバルトスが彼のパートを担当した)、キーボードとパーカッション、それに時折シュナイダーのフルートとサックスソロが入るだけ。サンフランシスコの音楽評論家はこう書いている。「パフォーマンス全体は、多種多様なピッチのノイズの寄せ集めだ。観客は、どこで曲が終わったさえ分からないほどだった」

クラフトワークの循環的な作曲法さながらに、シュナイダーはこうした批判に茶々を入れた。「音楽には始まりも終わりもない」と彼は言う。「中には終わってほしいと思う人もいる。だけど、音楽はずっと続いていくんだ」

Translated by Akiko Kato

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