ローリングストーン誌が選ぶ、史上最高のアカデミー受賞・ノミネート作品15選

史上最高のアカデミー受賞・ノミネート作品15選(Everett Collection (3))

コロナ禍の今、家で良い映画を観たいと思う人は多いだろう。そんな読者のみなさんへ米ローリングストーン誌によるアカデミー史上屈指の受賞・ノミネート作品をここに紹介する。

アカデミー賞に関する議論は、オスカーという栄誉を与えられた映画を観るのと同じくらいアメリカ国民を熱狂させる。熱烈な映画ファンであれば、誰もが作品Xではなく、作品Yが栄冠を手にするべきだったと主張したり、お気に入りの作品がその年の作品賞(あるいは主演男優賞とか主演女優賞とか……)にノミネートさえされなかったと嘆き悲しんだりするものだ。それに、我々は1991年に『グッドフェローズ』を破って作品賞を勝ち取った『ダンス・ウィズ・ウルブズ』に関していまだに激しい口論を延々と続けられる。冗談抜きで。

だが、年によってアカデミー賞は極めて正しい判断を下すこともある。ローリングストーン誌は、およそ90年にわたる映画史を振り返り(※本記事は2016年に掲載)、主要6部門——作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、助演男優賞、助演女優賞——から至極のアカデミー賞受賞・ノミネート作品をピックアップした。

1. 作品賞(1939年)『風と共に去りぬ』

『風と共に去りぬ』よりクラーク・ゲーブル(写真左)とヴィヴィアン・リー(写真右)、1939年(Photo by Everett Collection)

同部門へのノミネート:『愛の勝利』、『風と共に去りぬ』(受賞)、『チップス先生さようなら』、『邂逅』、『スミス都へ行く』、『ニノチカ』、『廿日鼠と人間』、『駅馬車』、『オズの魔法使』、『嵐が丘』

ハリウッドの黄金期のなかでも1939年ほど光り輝いていた年はないだろう。その翌年の作品賞ノミネーションには、スタジオ・システム(訳注:ハリウッド独自の製作方式で、製作総責任者が脚本から演出・編集等の全工程を監督する体制)が生み出した最高傑作の数々が名を連ねていた。その代表格が大人気ミュージカル・ファンタジー『オズの魔法使』と失われた大義を描いたオスカー受賞作『風と共に去りぬ』であり、両作はいまも正統派映画が与えてくれる魔法という概念を体現し続けている。そのほかのノミネート作品には、主演俳優・女優のキャリアのハイライトとなった作品もあれば(『愛の勝利』のベティ・デイヴィスを観てほしい)、公務員の理想的なヒーロー像を示してくれたものもあり(『スミス都へ行く』の勇敢な政治家や『チップス先生さようなら』の思いやりあふれる英国人教師など)、ひとつのジャンルを芸術形式へと昇華させたものもあれば(駅馬車)、文学作品の映像化が原作と同様に優れていることを証明したものもあった(『廿日鼠と人間』と『嵐が丘』)。これらすべてを踏まえると、映画が多くの人にとっていかに大切だったかがよくわかる。

2. 主演女優賞(1939年)

『愛の勝利』よりハンフリー・ボガート(写真左)とベティ・デイヴィス(写真右)、1939年(Photo by Everett Collection)

同部門へのノミネートベティ・デイヴィス(愛の勝利)、アイリーン・ダン(邂逅)、グレタ・ガルボ(ニノチカ)、グリア・ガースン(チップス先生さようなら)、ヴィヴィアン・リー(風と共に去りぬ—受賞)

『オズの魔法使』のジュディ・ガーランドにオスカーが与えられなかったのは事実だ。たしかに、これはアカデミー側の重大な過ちだったかもしれないが、この年の主演女優賞にノミネートされた女優たちのスターとしての力量を考慮すると、必ずしもそれが不当だったとは言い切れない。というのも、主演女優賞の候補者リストには、作品賞にノミネートされた作品の主演女優が5人もいたのだから。グレタ・ガルボにベティ・デイヴィス、とりわけ主演女優賞に輝いた『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リー(神よ見ていてください、私は二度と空腹にはなりません!)といったアイコニックな女優たちは、各作品の成功において自分たちがいかに重要であるかを世に知らしめた。『風と共に去りぬ』でリーと共演したハティ・マクダニエルについても同じようなことが言える。1940年に助演女優賞を受賞したマクダニエルは、オスカーを手に入れた初の黒人俳優として歴史にその名を刻んだ。

Translated by Shoko Natori

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