starRoと手島将彦が語る 米国での経験をもとに考える音楽家のメンタルヘルス

ー多様性って何年も声高に言われ続けてきた大事なことだと思います。でも、それに反発するように、多様性や個の尊重を侵害するようなことがSNSでは依然としてあって、正直辛いと思うことが多いです。

手島:僕は別に多様性を良くも悪くも思わないんですよ。多様性自体が良い悪いじゃなくて、世の中には多様性が存在するっていうことが事実なんですよね。そういう軋轢は、多様性を良い悪いで判断しようとしているから生まれる節があって。事実に目を向けずに物事が進むとおかしなことになるんです。だから、事実として色々な人がいるからどうしましょう、皆で考えようねっていうだけなんですよね。

straRo:色々な人がいることで困る人もいるんですよ。そこがたぶん今の問題の一つだと思います。なんとなく皆が一緒だっていう社会構造にしないと成り立たない経済やビジネス構造もある。歴史的にも資本主義的なものがずっと軸にあったけど、それへの見方も確実に進化している。色々な人がいると困る人がいても良いと僕は思っていて。実際、僕らは色々な人がいても困らないわけだから。そこを認めて軸にしてあげた方が皆が幸せになるんじゃないかな? そうじゃないと、いつまでも多様性の世界が作れないですし。

ー最後にどうしてもお訊きしておきたかったことがあるんです。最近、Twitter上で「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグで多くの意見が生まれました。そこでは、ミュージシャンに限らず芸能人が政治的発言をすることに対して、がっかりしましたっていう反応もありました。海外の文化やケースが必ずしも正しいとは思いませんが、アメリカでもこういう反応があるものなのでしょうか?

starRo:もちろん0ではないですよ。「お前はラジオのパーソナリティだし、そこで留まっとけ」みたいな声もあります。ただ、今回ポイントなのは、芸能人だから政治的発言をするなということ。アメリカでは、他人の表現の自由という権利を否定することは言わないことがカルチャーだったりするので、そんなに大きな事にならない。僕が大事だと思うのは、政治的発言の内容の良し悪しに関係なく、その人の意見と違うファンもいるっていうことなんです。芸能人が政治的発言をするな、ということは絶対に違うけど、そういう発言をすると文句を言う人がいるっていう事は仕方ないことなんです。それを割り切るか、撤回するのかという違いが大事なんですよ。ある程度の人気を得るためには、ノンポリでカラーを出さずにファンを集めるっていうのが、日本では定着していた。だからこそ、分断されるようなことをアーティストがやっちゃうと大事になってしまうんです。でもアメリカの場合だと、普段から芸能人の政治的な言動があるし、文句を言ったり、あなたの曲を聴かないって言う人が常にいるから、そこでいちいち大騒ぎにならないし、ファンに離れないで欲しいともならない。そういうスタンスの違いなんじゃないですかね。

手島:今回の話に結びつけて言うと、やっぱり色々なミュージシャンがいていい。政治的発言をするミュージシャンがいても良いし、しなくても良い。ただそういう発言をする人が面倒なことになったり、そういうことには触れないようにしようというのはおかしい。日本に限って言うと、ゆるくふわっとノンポリでいくアーティストがかっこいいっていう1980年代くらいの病がずっと続いている感じがありますよね。でも、そういうスタイルは時代に合わなくなってきたと感じている人もいるし、逆に守り通したい人も年齢関係なくいる。この40年近く続いてきた姿勢が、今問われているんだろうなって思います。

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