WONKの江﨑文武が語る、常田大希や石若駿ら同世代と共有してきた美意識

King Gnuにも通ずる生演奏の熱量
「整っている=美しい」ではない

ーパソコン一台どころか、iPhone一台あれば曲作りからミックス、配信までができてしまう現代において、楽器を演奏することの意味合いをどのように考えていますか?

江﨑:「作る」っていう部分に関しては、圧倒的にパソコンの可能性の方が大きくて。だから、これから音楽を始めようとしてる人に対しては、「まずパソコンを買え」って言う自分がいると思うんです。なんですけど、パフォーマンスを人に見せるとなると全く違って。例えばビートメーカーの人たちって、ラップトップDJ的なスタイルでライブをやることが多いと思うんですけど、あれって視覚的に惹かれるものが少ないなって個人的には思っていて。楽器を演奏するのって、フィジカルでアピールするには一番いい方法なんじゃないかなって思うんです。なので、楽器を演奏することのかっこよさは、これからも消えることはないと思っています。

ーなるほど。

江﨑:「音楽をやってる」ということを伝えるための手段として、今は映像とかいろんな演出もあるけど、なんだかんだ「楽器を弾いてる」っていうことが一番強度がある気がしますね。King Gnuはテレビ露出のときも生演奏にこだわっていますけど、やっぱり演奏する振りをするのと、実際に体を動かして、その瞬間に音が発せられる状況って、伝わる熱量が全然違うなって。この前King Gnuが「ミュージックステーション」で「Teenager Forever」を演奏したときに、他の出演者もスタンディングオベーションをしてて、ネットでは「ミッシェル以来の衝撃」とか書かれてるのを見て。「楽器を演奏するのはかっこいいな」って、また思い起こさせてくれました。それは石若の演奏とかを見ても、毎回思うことなんですけど。



ーテクノロジーとの格闘が身体性を増幅させる部分もありますよね。ドラマーで言うと、石若くんにしろ、荒田さんにしろ、それこそクリス・デイヴにしても、テクノロジーとの切磋琢磨によって、より面白い楽器演奏ができるようになったわけで。

江﨑:そういう話で言うと、最近はきれいなピアノを録るよりも、ちょっと調律が狂っていたり、状態がよくないピアノの音を温かく録るっていうのがブームになっていると思っていて。チリー・ゴンザレスが2004年に発表した作品(『Solo Piano』)以降、その傾向が顕著で、サンファやジェイムス・ブレイクもそう。完璧な音というよりは、その辺の喫茶店にあるピアノで録ったみたいなのって、打ち込み的なものに抗ってる感じがするというか、「整っている=美しい」ではないっていう美学を感じるんです。楽器を弾くよりも、パソコンで整えられたトラックを流す方が、作り手が本来あるべきと思っている姿に近いのかもしれないけど、実はもっとノイズが乗ってたりする方が人は感動する。テクノロジーとの対峙的な話で言うと、楽器が廃れないことの理由って、そこがすごく大きいのかもしれないですね。

Edited by Yukako Yajima

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