The 1975インタビュー「ルールを設けないこと、それが僕たちのルール」

成長を支え続けてきたDirty Hit

結成当初、地元のクラブを中心に演奏していた彼らは、Me and You Versus ThemやDrive Like I Doなど、いかにもエモバンドらしい名前をつけては変更していた。長年に渡ってバンドのマネージャーを務めているJamie Oborneは、口コミで彼らの噂を耳にし、当時まだ10代だったヒーリーにMySpace経由でコンタクトを取った。Oborneは立ち上げたばかりだった自身のレーベル、Dirty Hitの運営で既に手いっぱいの状態だったが、彼はThe 1975が秘めた大きな可能性に気づいていた。

「マシューがどういうアルバムを作りたがっているのかを知っていた私は、彼らはより大きなレーベルと契約すべきだと考えていた」ロンドンにある自宅で家族とともに隔離生活を送っているOborneは、本誌の電話取材に対しそう語った。「当時うちのレーベルにそんな金はなかったんだ」

バンドはレコード契約の獲得に苦労していた。「文字通りありとあらゆるレーベルが、彼らの申し出を2度拒否していた」Oborneはそう話す。「マシューはレコード業界のビジネス面に幻滅していた。コロコロと態度を変える業界人とのやりとりは、彼を消耗させていた。それは彼の精神面に悪影響を及ぼし始めていたんだ」

結果的にThe 1975はOborneのDirty Hitと契約し、2012年以降全ての作品を同レーベルから発表している。初期のEP数作の発表後、アメリカでのディストリビューションはInterscopeが担うようになったものの、バンドはOborneのレーベルにとどまることでクリエイティヴ面の主導権を維持することができた。

「私は従来のレコード契約の内容にずっと疑問を持っていた。アーティストにとってすごく不利だと感じていたんだ」Oborneはそう話す。「この業界に足を踏み入れたばかりの頃、なぜあんなことがまかり通っているのかまるで納得できなかった。自分が何かを見落としているんだろうと思ったよ。でも最終的には、単に内容が不公平なんだと結論づけた」



約10年間に渡って、The 1975はDirty Hitの成長を支え続けてきた。ヒーリーはレーベルの実質的な「クリエイティブディレクター」として、新規契約アーティストを積極的に提案している。Angelic Residential Studioで隔離生活を送りながら、ダニエルはレーベルメイトであるノー・ローム(「トゥナイト〜」を共作)とジャパニーズ・ハウスのプロジェクトに取り組んでいる。より最近ではBeabadoobeeとリナ・サワヤマが大きな成功を収め、The 1975に次ぐレーベルの看板アーティストになることが期待されている。

「彼らも今じゃすっかり大人さ」そう話しつつも、Oborneは自分が口にした言葉に軽く衝撃を受けている様子だった。「すごく奇妙だよね。私がそんなことを言ったって知ったら、マシューはきっと怒るだろうな」

レーベルにおける自身の役割について、ヒーリーはシンプルな信条を持っている。「ものすごくドープで、僕自身がちょっと嫉妬するアーティストを探してる」彼のTwitterのプロフィールを見ると、未契約アーティストを募集する旨のツイートが1年以上前からスレッドの最上部に固定されており、そこにはDirty Hitのメールアドレスも記載されている。「僕は誰かにあれこれと指図するつもりなんてないんだ」彼はそう話す。「そいつが書いた曲を聴いて一緒に興奮し、とにかく好きにやればいいって言ってやるだけさ」

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE