拍子はホントに出たとこ勝負でしかない。最近はABサビみたいな様式美をやってるつもり
―今の疑問を解き明かすためにも、österreichのベーシックについて聞いていきたいです。まずDTMでデモを作って、それをバンドに落とし込んでいくそうですが、基本的な曲の作り方を教えてもらえますか?
高橋:朝起きて、ニワトリを絞めて、生きとし生けるものすべてへの慈愛みたいなものを持つんです。で、魔法陣の中心に絞めたニワトリを置いて祈ると、フワッと光が射して、ニワトリがスッと消えていくと同時に、音符が書いてある紙が落ちてきて……。
―そういうのいいから(笑)。österreichの音楽はやっぱりリズムや構成が特徴的で、しかもただ変拍子とかポリリズムとかミニマルってだけじゃなくて、反復のようで裏側が変わってたり、そもそも構成的に戻ってこなかったり、絶えず変化している印象があるので、どうやって作ってるのかなって。
高橋:拍子はホントに出たとこ勝負でしかないし、できたものがたまたまそうだったってパターンがほとんどで。俺はわりと普通だと思ってます。構成も最近は結構普通っていうか、かなりポップスに寄せた、ABサビみたいな様式美をちゃんとやってるつもりなんですけど。
―確かに『無能』の頃に比べると、最近の曲はポップス的な様式美がありますよね。ただ、「とはいえ」っていう感じではあると思う。
高橋:まあ、そうですね。曲を作ってるときの記憶はほとんどないんです。嫌すぎて、つらすぎて(笑)。喜びとともに曲を作ってる記憶はあんまりないですね。
―じゃあ、曲を作っていて喜びを感じるのはどんな瞬間ですか?
高橋:いいメロディができたときとか、そういう単純なことかもしれない。いいコードとメロディのハマり方をしたなとか、そういう細かいところではあるんですけど。
迷ってる中でたまに正解にかする瞬間があって、その瞬間は楽しかったりする
―例えば、近しい人の名前を挙げてみると、ハイスイノナサの照井順政くんって建築が好きだったりして、作る曲にも構築美みたいなものがあるじゃないですか? そういう感覚って國光くんにもあるんですか?
高橋:たぶんですけど、照井さんは、それこそ建築と一緒で、最初に部品がバーッてあって、それがどう連なって曲ができるかってところまでが初期設定の段階からちゃんと見えてる。だから、それが考えた通り組み上がったことに対する喜びみたいなことがあるんだと思うんです。でも、僕は初期設定で最後まで見えてることがホントなくて、やってくうちにどんどん変わっちゃう。でも、そうやって迷ってる中でたまに正解にかする瞬間があって、その瞬間は楽しかったりします。
―迷いながら曲を作っていく中で、リズムなりコードなりメロディなり、ここはいつも時間をかける、もしくはかかってしまうのはどの部分ですか?
高橋:メロディですね。歌ものとしては、グッドメロディみたいなものをすごくやりたいんですけど、そこが結構コンプレックスで。理論的にメロディを分解していく手法もあって、プロの作曲家とかはそういうことをやってると思うんですけど、まずは元から賜った才能みたいな、根本的なセンスが重要だと思ってて。自分にはそれがないなって思わされる瞬間がめちゃくちゃあるんです。周りにいいメロディを書く人が多いからっていうのもあるんですけど、コンプレックスの裏返しでメロディはめちゃくちゃ時間かかるんですよ。
―でも、「楽園の君」を聴いたときは、やっぱりメロディセンスあるなって思いました。
高橋:あれはホントに珍しく、歌って作ったんです。鍵盤じゃなくて、鼻歌で作ったから、他の曲とはちょっと質感が違うのかもしれないですね。