Suspended 4thが語る楽器へのこだわり「他のバンドと違う一番の理由」

写真左上から時計回りに:鷲山和希(Gt, Vo)、澤田誠也(Gt)、福田裕務(Ba)、デニス・ルワブ(Dr)

より自由な音楽、嘘偽りのない音楽を求めてライブハウスを抜け出し、名古屋・栄の路上ライブから現れた4人組ロック・バンド、Suspended 4th。

今の若手バンドで、これほど楽器にこだわり、これほど楽器を徹底的に自由に演奏しまくるバンドはいるだろうか? 今回、鷲山和希(Gt, Vo)、澤田誠也(Gt)、福田裕務(Ba)、デニス・ルワブ(Dr)の楽器に対するこだわりを聞いてみたのだが、話はこれだけではまだまだ尽きないのだ。

※この記事は2020年3月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.010』の特集企画「いまこそ『楽器』を」に掲載されたものです。

【画像】Suspended 4thの4人が使用する楽器(写真7点)

メンバーそれぞれの楽器との出会いとSuspended 4thまでの道のり

ー最初に手にした楽器は?

鷲山和希:俺は三味線です。

デニス・ルワブ:僕はドラムですね。

福田裕務:俺も実は最初はドラムなんです。

澤田誠也:僕は最初からエレキギターでした。

ー鷲山さんと福田さんが最初の楽器から今の楽器に変えた経緯は?

鷲山和希:DrumManiaが流行った時にドラムをやり始めたら、「あ、ギター弾けるんじゃね?」と思って、中3でギターを弾き始めたんですね。三味線とあまり運指が変わらなかったので、すんなり移行できましたね。三味線もギターもペンタトニックなんですよ。

福田裕務:俺は映画『ドラムライン』の影響でドラムを始めたんですが、飽きて。中1で周りがギターを始めたのに影響されて俺もギターを始めたんですが、ブリッジミュートで挫折して。中3で何を思ったか、突然ベースを買ったんですね。

ー澤田さん、デニスがそれぞれギター、ドラムを選んだ理由は?

デニス・ルワブ:何を思ったのか始めましたね。8歳だったので、今の自分とは別人ですよね。でもこれを仕事にするんだろうなっていう感覚は最初からありました。

澤田誠也:僕の場合は、おばあちゃん家の倉庫にESPのNavigatorがたまたま置いてあって。それを拾って始めたのがきっかけですね。僕、手が大きいので、最初からコードを簡単に押さえられたんですよ。

ー今の楽器を始めてからは、どのように腕を伸ばしていったんですか?

デニス・ルワブ:僕は好きな曲を流して、それに合わせて叩くっていうことだけでした。一番やったのはザ・フーの「My Generation」です。中学では吹奏楽部に入ったんですけど、「俺はドラムしかやんないです」みたいな感じだったので、別室に隔離されて、一人で黙々とドラムを練習する環境があったんです。吹奏楽部の本番の時以外は、ジミヘンとかザ・フーとかレッド・ツェッペリンとかを、ギターアンプに携帯を繋げて大音量でかけながら叩いてました。

福田裕務:俺は学校も行かずに引きこもってたので、1日17時間ベースを弾いてました。最初はマキシマム ザ ホルモンとレッチリを聴いて、スラップをとにかく練習しまくって。上原太のソロをどれだけ速く弾けるのかしか考えてなかったですね。

澤田誠也:一番最初に弾いた曲は「禁じられた遊び」でした。その後コードを覚えて、当時の僕はメロコア・キッズだったので、Hi-STANDARDの「Stay Gold」とかをコピーしてました。でもずっとワイルドなプレイしかやってこなかったから、細かいのを弾こうと思ってもできなくて。ある日、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを聴いて。こういう弾き方でもカッコいいんだって思えたのが、自分の中でも衝撃だったんです。左手で根性でミュートして、右手では細かいのを弾かずにフルピッキングして、左手で単音が出るような練習をしてたら、今のスタイルになりました。

鷲山和希:俺が一番最初に弾いた曲は「Smoke On The Water」なんですよ。パワーコードなんですけど、俺は単音しか弾けなくて。ギターソロを最初にコピーした感じですね。

ーそこからSuspended 4thに至るまではどのような感じでしたか?

福田裕務:高校生で初めて組んだバンドが、青春パンクみたいなジャンルで、スラップを弾くこともなく。そこからピコリーモのバンドに入ったんですけど、そこでもルート弾きばかりで。ずっとテクだけ持ち腐れみたいな感じだったんですけど、Suspended 4thに誘ってもらって入ったら、今までやってたのと全然違うことがやれたんです。しかも、鷲山は僕が持ってるものをけっこう使わせてくれるんですよ。

デニス・ルワブ:僕は中2の時に先輩のバンドに誘われて。文化祭でMONGOL800とかONE OK ROCKをやらされました。よくプレイがジャズっぽいって言われるので、だったらジャズもやってみようと思って、高1ぐらいからジャズ・クラブも出入りするようになって。そこからまた別の先輩に誘われて、ブルース・ロックみたいなバンドでライブハウスに出てました。鷲山さんに路上ライブに誘われた時は、曲を聴かないでやりますって決めたんですけど、あとで曲を聴いたら、「あれ、売れそうじゃん」と思って(笑)。久しぶりに本気出してみようかって感じで、今に至ります。

鷲山和希:俺は専門学校に行って、ジャズを学んでました。本当はその学校から編入してボストンに行く予定だったんですけど、学校が1年でつぶれちゃって。マジで路頭に迷ってしまって。でもそこから本気で音楽をやろうと思って、作曲とかレコーディングの仕事をやるようになったんです。そこから今の自分のギターの師匠に出会って。その人がストリートでやってたんで、自分らのバンドもストリートでやるようになったんです。

澤田誠也:僕は歌謡ローファイ・ガレージ・ロックみたいなのをやってたんですけど、今のようなフリーキーでノー・コンセプトがコンセプトみたいなバンドをやるとは思ってなかったですね。しかもこのスタイルでPIZZA OF DEATH入りなんて、スゴいなと思いますよ。このバンドは奇跡のメンバーが揃ったんだと思います。









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