ザ・チェッカーズとザ・タイガースの解散ライブアルバムから考えるアイドル性と音楽性

アイ・アンダスタンド / ザ・タイガース

「蛍の光」が入ってますね。このオリジナルはハーマンズ・ハーミッツで、ザ・タイガースは当時の自分たちのコンサートの中での重要レパートリーにしていた。これを解散コンサートで、こんな風に前説を入れながらやっております。グループサウンドは日本のポップスにとって革命だったと思うんですね。それまでカントリーバンドはあったわけですが、ビートルズやストーンズのようなロックバンドっていうのはなかったわけです。洋楽と同じバンドが日本のポップスの中に登場した。でも当時はロックファン自体がいなかったに等しいわけですから、彼らがやりたかった音楽というのがちゃんと理解されたといえないまま終わってしまった。沢田研二さんは、ザ・タイガースを解散した後に、ザ・テンプターズのショーケンさんとPYGというバンドを作るんですが、日比谷のロックコンサートでは帰れ帰れと言われる、憂き目にあっております。さっきMCをした岸部修三さんは当時24歳になったばかり、沢田研二さんは22歳。皆若かったですね。そしてロックで人生が変わった最初の世代がここにあるんだと思います。1971年7月に発売、ザ・タイガース武道館解散公演ライブ『ザ・タイガース・フィナーレ』から「アイ・アンダスタンド」でした。



1993年発売のザ・チェッカーズのライブ盤『FINAL』から「ギザギザハートの子守唄」。1983年9月のデビュー曲でした。ザ・チェッカーズは1980年に結成された7人組ですね。福岡市久留米市出身。藤井郁弥さん、武内享さん、高杢禎彦さん、大土井裕二さん、鶴久政治さん、徳永義也さん、藤井尚之さん。ボーカルが3人とバンドですね。サックスも入っておりました。アマチュア時代はドゥーワップ・ロックンロールをやっていて、1981年のヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストのジュニア部門で最優秀賞を受賞。徳永さんと尚之さんは高校生だったので、2人の卒業を待ってデビューしました。1984年の年間チャートのトプ10には、「涙のリクエスト」、「哀しくてジェラシー」、「星屑のステージ」に3曲が入っているんですよ。そして、客席が圧倒的に女子中高生でありました。1984年に音楽雑誌「PATi・PATi」が創刊されるんですが、「PATi・PATi」はザ・チェッカーズがデビューして創刊されたと言ってもいいでしょうね。それまでの「GB」という最大手の音楽雑誌が、ザ・チェッカーズはアイドルだからっていうことで扱えなかった。で、副編の吾郷さんが、新しく雑誌作るよと言って始めたのが「PATi・PATi」でした。1980年代の音楽雑誌を支えたバンドと言っていいでしょう。ちょうど10年がたった1992年、解散コンサート。その中から「涙のリクエスト」をお聴きいただきます。

Rolling Stone Japan 編集部

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