スティーヴィー・ワンダー最高傑作『キー・オブ・ライフ』知られざる制作の裏側

スティーヴィー・ワンダー『キー・オブ・ライフ』のジャケット写真


モータウンは希望と可能性の象徴

降って湧いたような莫大な収入に加えて、契約書はワンダーに「どこで誰と制作してもよい」というクリエイティヴの自由を与えたほか、ワンダーには曲のシングル化を拒否する権限も認められた。当時、発売間近だった3枚組のベストアルバムは、ワンダーが発売中止を主張したことで20万枚全てが焼却炉に送られた。最も際立っていたのは、モータウンの売却にはワンダーの許可が必要だということだった。ビートルズもエルヴィス・プレスリーもフランク・シナトラも、自分の所属レーベルにそこまでの影響力はなかった。この契約は、ワンダーがモータウンの中で最高位のミュージシャンであることを示す、究極の証しだった。

「アルバムをどのように作り、どこで制作するかということについて、ワンダーは法的にもプロのミュージシャンとしても契約の伝統を破った」と、ヴィゴーダ弁護士はローリングストーン誌のベン・フォン=トーレスに語った。「伝統を破ることでモータウンの未来を切り開いた。モータウンは13年も一流のアーティストを出していなかった。シングル曲を発表し、ある分野では名を成していたが、真に一流のアーティストは出していなかった」。



この契約でワンダーは多くを手にしたが、モータウンもワンダーのためにたくさんの仕事をした。そしてそれは、アフリカン・アメリカンの輝かしいサクセスストーリーという印象を与えた。

「僕はモータウンに留まる。音楽業界で唯一の存続可能な黒人の会社だからだ」。ワンダーは、契約締結を発表した声明でこう語った。「新人やすでに成功している黒人パフォーマー、プロデューサーにとって、モータウンは希望と可能性の象徴だ。モータウンがなければ、僕らは現在の成功を手にすることも、実現してきたことを成し遂げることもなかっただろう。モータウンが精神的に安定し、本質的に強く、経済的に健全でいられるよう、この業界の人たち、特にクリエイティヴ・コミュニティの黒人アーティストやライター、プロデューサーは見守っていかなければならない」。

ドキュメンタリー映画『メイキング・オブ・キー・オブ・ライフ』で、ワンダーは30年経った今でもゴーディの信頼に感謝していると語った。「彼は勇敢にも賭けに出てくれた。『スティーヴィーを十分信じているから契約に踏み切った。この賭けを信じる』とまで言って挑戦してくれた。彼は聡明な男だ」。

全ての環境が整い、ワンダーは新たなプロジェクト、つまり1962年から数えて18枚目のアルバム制作に没頭した。

ワンダーは1974年の前作『ファースト・フィナーレ』の勢いに乗っていた。比較的地味なこのアルバムには内省的な曲が多く、怒りの痕跡もあった(ニクソンを激しく非難した「悪夢」を参照)。当初はワンダー初の2枚組アルバムとなる予定だったが、計画が頓挫すると、残りの曲は続編の『ファースト・フィナーレ・パートII』(または『セカンド・フィナーレ』の方が自然だろう)としてリリースすると発表した。

1974年の終わり、ワンダーはクロウダディ誌やメロディ・メイカー誌のライターに制作中の曲を試聴させた。その中には、“赤の他人のような目でこの世界を見るな。我々が危機の中生きていることをお前は知っている”と警告するような歌詞の「The Future」があった。この憂鬱な曲は、シンバイオニーズ解放軍を警察が奇襲攻撃した時のテレビ中継に「かなりの影響」を受けている。左翼過激派組織の解放軍が、大富豪の娘、パトリシア・ハーストを人質に取って逃亡し、その間多くのメンバーが殺された。「Livin’ Off the Love of the Land」も同様に陰鬱で、“人間の知恵は更新されていないらしい”、“僕には愚か者がますます愚かに見える”といった一節が含まれている。


スティーヴィー・ワンダーの未発表曲「Children Still Do Live The Dream」(「The Future」)のライブ音源

このような辛辣な曲はワンダーのファンを遠ざけ、売り上げに影響すると思われたのだろうか。曲の発表は見送られ、『セカンド・フィナーレ』は立ち消えとなった。ワンダーは気持ちを新たに次のプロジェクトに取り組むことを誓った。最新作のタイトルは、暫定的に『Let’s See Life the Way It Is(人生をありのままに捉えよう)』としていたが、最終的にはワンダーの夢に出てきたタイトルに決まった。それが『キー・オブ・ライフ』(Songs in the Key of Life:人生の鍵となる曲)だった。

Translated by Rolling Stone Japan

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