スティーヴィー・ワンダー最高傑作『キー・オブ・ライフ』知られざる制作の裏側

「全てのアルバムの中で一番満足している」<

ワンダーの全作品のなかでも最も素晴らしい曲のいくつかが、『キー・オブ・ライフ』のレコーディング・セッションから生まれている。神々しい「孤独という名の恋人」(Knocks Me Off My Feet )、複雑なハーモニーの「ある愛の伝説」(Love’s in Need of Love Today)、ハービー・ハンコックが参加した「永遠の誓い」(As)もその中に含まれる。

基本的なレコーディングが終了すると、ワンダーは制約のない形態で際限なくミキシング作業をしたいと主張した。「マラソンさ。永遠に終わらないんじゃないかと思うこともあった」とオラサバルは振り返る。「“まだ終わらないの?”(Are We Finished Yet?)とか“『負傷』をもう1度ミックスしよう”(Let’s Mix ‘Contusion’ Again)とプリントされたTシャツを着る人もいた。これは誇張ではなく、少なくとも30回は『負傷』(Contusion)をミキシングした。僕らのジョークの定番になったよ」。

ワンダーは、モータウン本部でそれらのTシャツを着て、ストレスが最高潮に達していた上層部をからかうことにハマっていた。モータウンは、一つの作品が完成するまでにこれほど長く待たされたことはなかった。「こんなに長くかかるとは誰も思っていなかった」とフィッシュバッハ。締め切りはあったが、ワンダーはお構いなしだった。その間レーベルは、厳密にはまだ存在していないアルバムの事前予約を100万件以上済ませていた。



1976年の秋までにワンダーの準備は整った。音楽的イノベーションではちきれんばかりの2枚組アルバムとボーナスレコードが完成したのだ。『キー・オブ・ライフ』は、最先端のテクノロジーで仕上げられたファンク、ソウル、ジャズの画期的ブレンドとなった。この進歩的音楽の輝かしい成果が大々的にお披露目されたのは、驚くべきことにマサチューセッツ州の片田舎、ノース・ブルックフィールドのロング・ビュー・ファームという牧歌的楽園だった。

しかしそれは、長い旅の最後の一歩だった。1976年9月7日午前7時半、マンハッタンの優雅なエセックスハウスに世界中から記者が集まると、一行は無料の朝食を急いで流し込み、3台のバスに分乗し、ケネディ国際空港に向かった。その途中で記者を乗せたバスはタイムズスクエアに立ち寄り、75000ドルかけて4カ月間アルバムを宣伝した60×400フィートのビルボードを見学した。その後すぐ、シャンパンやアペタイザーをたっぷり乗せたチャーター機DC-9は離陸した。航空機がマサチューセッツ州ウースターの小さな空港に到着すると、記者たちは町のスクールバスに乗り込み、試聴パーティ会場までの短い距離を移動した。



ロング・ビュー・ファームは、143エーカーの乗馬クラブに世界最高レベルのスタジオ(ローリング・ストーンズ、キャット・スティーヴンス、エアロスミス、J・ガイルズ・バンドを含む多くのバンドが使った)を増設したばかりだった。ワンダーが登場するまでの間、ゲストはローストビーフやパイなど、たっぷりの食事と追加のシャンパンでもてなされた。ワンダーは、派手なカウボーイスタイルで華々しく登場し、テンガロンハットとレザーフリンジ、「Number One With A Bullet」(弾丸のごとく一気にナンバーワンに君臨)と書かれたガン・ホルスター(体につける拳銃のケース)でキメていた。この祝賀祭にかかった経費の合計3万ドルは、モータウンが負担した。

「弾けたやつを鳴らしてみよう(Let’s pop what’s poppin)」と、ワンダーはオープンリール式のテープの再生ボタンを押し、スタジオで長い時間かけて温めてきた音楽と、自分自身の魂を解き放った。

ワンダーの作品は、あっという間にチャートのトップに駆け上がった。初登場で1位を獲得した史上3枚目のアルバムとなり、14週連続で1位をキープし、4つのグラミー賞を受賞した。授賞式当日は音楽的伝統の探求のためにナイジェリアに滞在していたが、衛星中継で賞を受け取った。中継の信号の接続が悪く、プレゼンターのアンディ・ウィリアムスが、「スティーヴィー、僕らのことが見えるかい?」と下手な呼び掛けをしたことでせっかくの機会がほんの少し損なわれてしまった。

このアルバムの力は発表から40年以上が経った今でも衰えることはなく、人々に畏敬の念を抱かせ続けている。プリンスやホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、そしてワンダー自身もこのアルバムをお気に入りとして挙げている。1995年には、「全てのアルバムの中で一番満足しているのが『キー・オブ・ライフ』だ」とワンダーはQ誌に語っている。「ちょうど良いタイミングだったんだ。あの時代を生き、父親になり、自分を解き放ち、必要としていたエネルギーと強さを神から授かった」。

●スティーヴィー・ワンダーの名曲を彩った巨大シンセサイザーの物語

Translated by Rolling Stone Japan

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