不条理な世界と闘った、音楽史に残る「反逆のアイコン」15選

4. MC5


カウンターカルチャーの早すぎた先駆者

「ジャムを始めるぞ!(キック・アウト・ザ・ジャムズ!)」カウンターカルチャーが政治的アクションへの消極性をストリートに打ち捨てた頃、60年代後半を代表する掛け声といえばこれだ。このフレーズを生んだバンドはデトロイトのMC5。人使いの荒いロックグループで、所属するメンバーたちは当時のカオティックなフリー・ジャズへの愛を共有していた。彼らが演奏を始めると、あるライターが言うには、そのサウンドはまるで「バンドがほとんど制御できないような、自然の破滅的な力」のようだった。ブラック・パンサー党に刺激を受け、バンドのマネージャーであるジョン・シンクレアはそのシンパであるホワイト・パンサー党の設立に重要な役割を果たした。バンドの好戦的な性格をあらわすため、ステージ上に弾を抜いたライフルを積ませたのも彼だ。1968年、シカゴでの民主党全国委員会で行われたものの、警察による暴力で潰されたヴェトナム反戦運動において、唯一複数回の演奏が予定されていたのがこのバンドだった。彼らは8時間にわたって演奏した。シンガーのロブ・タイナー、ギタリストのウェイン・クレイマーとフレッド・“ソニック”・スミスが率いたこのバンドは、3枚のアルバムが商業的にふるわなかったこともあり、早々に燃え尽きてしまった。しかし、彼らがラディカルなロッカー兼パンクの先駆者として残した財産はいまも生き続ける。




5. ピーター・トッシュ


バビロン・システムと戦った、永遠のルード・ボーイ

ボブ・マーリーは「レベル・ミュージック」を歌ったが、ウェイラーズにおける真のレベルは偉大な故ピーター・トッシュだった。「起き上がれ、立ち上がれ/権利のために立ち上がれ」この広く知られるチャントを共同執筆したのはトッシュだった。彼の言葉使いは独特だった――彼の世界では、抑圧者(オプレッサー)は「ダウンプレッサー」だった。アイランド・レコードの大物クリス・ブラックウェルがトッシュによる初のソロアルバムのリリースを拒否したときには、グループと契約を結んだこのイギリス人を「ホワイトワースト(白く最悪)」と呼んだ。トッシュの信念は、アルバムのタイトルに明らかだ。たとえば、『Equal Right(平等の権利)』、『No Nuclear War(核戦争反対)』、『Legalize It(解禁せよ)』。ジャマイカの首脳陣を前にしてステージ上でマリファナを吸って大麻合法化を擁護すると、彼は警察に拘束され、留置の際には殴打された。侮辱に甘んじることのなかったトッシュだが、1987年に自宅に侵入した強盗によって殺害されてしまった。「俺はステップを踏むカミソリ」ある歌詞で彼はこう警告する。「俺は危険人物だ」




6. シネイド・オコナー


「真の敵と戦え」たった一人の抗議活動

シネイド・オコナー は永遠に記憶されることだろう。1992年10月3日に放送されたサタデー・ナイト・ライヴのエピソードでヨハネ・パウロ2世の写真をずたずたに割いたためだ。それは聖職者による性的虐待の証言を長きにわたって握りつぶしてきたカトリック教会に対する抗議だった。彼女が歌ったのはボブ・マーレーの「ウォー」。2週間後も彼女は同じ歌詞を叫んでいた。マディソン・スクエア・ガーデンで開催されたボブ・ディランのトリビュート・コンサートでのことだ。彼女は聴衆の野次に押し流されんばかりだった。「ろくでなしどもに心を挫かれてはだめだ」クリス・クリストファーソンは彼女にそう伝えた。「挫かれてなんかない」と彼女は応えた。オコナーはエスタブリッシュメントの考え方に反抗するキャリアを歩んできた。第一に、トレードマークである剃り上げた頭は、女性の客体化に関する直截なステイトメントだった。同性愛者の権利を支持して、彼女はかつてこう語った。「私は3/4がヘテロセクシュアルで、1/4がゲイ」。ショーの前に国歌を演奏するのなら、と彼女がニュージャージーのヴェニューでのパフォーマンスを拒否したときには、フランク・シナトラの怒りを買った。「私はトラブルを起こすために行動したりしない」と彼女は語った。「たまたま私のすることが自然とトラブルを呼んでしまうだけ」


Translated by imdkm

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE