憂歌団とTHE BLUE HEARTSのライブ盤から見る日本のブルース



憂歌団の1977年のライブアルバム『生聞59分』から「パチンコ・ランラン・ブルース 」でした。このアルバムの発売がTrio SHOWBOATレーベルだったんですよ。SHOW BOATレーベルは、トリオがはっぴぃえんどの事務所「風都市」と一緒に作ったレーベルなんです。南佳孝さん、吉田美奈子さん、小坂忠さん、久保田麻琴と夕焼け楽団とかいろいろな個性的なアーティストを世に送り出しましたが、憂歌団もその中に入ってました。でもこのアルバムのインパクトは凄かったですね。関西のブルースバンドは1970年代にはサウス・トゥ・サウスをはじめ、ソー・バッド・レビューとかウエスト・ロード・ブルース・バンド、スター・キング・デリシャスとか錚々たるバンドがいたので、関東の僕らにはちょっと遠目に見るような感じで。すげえなあいつらという目で見ていたのですが、この憂歌団は全然違うものがいきなり飛び込んできた。エネルギーに圧倒されたという感じがありました。

木村充揮さんと内田勘太郎さんの2人が大阪市立工芸高校の同級生で、同じ日本画コースだった。当時大阪の天王寺に板根楽器というお店があって、そこにブルースのアルバムがたくさん置いてあって、そこでブルースを知るようになってバンドを始めた。その板根楽器に紹介されたのが京都のウエスト・ロード・ブルース・バンドの塩次伸二さんだったとお二人から聞きました。そして、初めてプロのステージに出たのが京都会館のジャズとブルースのコンサート。マーサ三宅さんという東京のジャズボーカリストがいて、2人がそこにアマチュアで出て「カンサス・シティ」を歌った時にプロの顔色が変わったんだそうです。こういう話は2010年にアルバム『憂歌兄弟』が出た時にお二人から伺ったんですけど、当時も今もこんな風にギターを弾ける、こんな歌を歌える人は未だにいない。そういう曲をお聴きいただきましょう。

Rolling Stone Japan 編集部

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