ビートルズと奴隷貿易商、港町の通りにまつわる論争

リバプールの町中には奴隷貿易商の名前にちなんだ通りが実際にある

しかしながら、リバプールの町中には奴隷貿易商の名前にちなんだ通りが多数あるのも事実で、ビートルズの楽曲のタイトルにもなったペニー・レインも奴隷貿易商ジェームズ・ペニーに由来しているという憶測に油を注ぐことになったわけだ。2006年、地元のソーシャル・ワーカーであるバーバラ・メイスが、リバプール中にある奴隷制度に由来する通りの名称をすべて変更すべきと呼びかけた。メイスはBBCに「私が出した提案は、市の中心地にある悪名高い奴隷貿易商に由来する多くの通りの名称を変更し、善良な行ないをした名士の名前に変えるというものです」と説明した。

ペニー・レインの名称変更という圧力は、リバプール国立美術館の広報担当者スティーヴン・ガイが、国際奴隷博物館のリバプール開設の討論中にペニー・レインが件の奴隷貿易商の名前に由来していると発言したことに端を発している。その後に出されたプレスリリース内で、ガイは「リバプールで最も知名度の高い通りの名前は、その由来が邪悪なものだという認識を促したいと思い、敢えて言わせてもらう。ビートルズの楽曲で不死身となった通りペニー・レインは、悪名高き奴隷貿易商ジェームズ・ペニーの名前に由来すると思われる。人名に由来するこれ以外の横道や脇道同様に、ペニー自身もしくは彼の家族がこの通りのある土地を所有していたか、この通りと何らかの強い関係があった」と記述している(ローリングストーン誌のコメント要請にガイからの返事はなかった)。

ビートルズ・ファンも歴史研究家も、明らかにこの意見に反対した。ジョン、ポール、リンゴ、ジョージがこの地域にとって非常に大切な存在であることと、奴隷貿貿易とこの通りを結びつける証拠がないことがその理由だ。『Liddypool: Birthplace of the Beatles(原題)』の著者でリバプール在住のデヴィッド・ベッドフォードは、この問題をメディアが取り上げた直後にコメントを出し、この地域とかつての住居者たちの調査を広範囲に行った結果、ペニー・レインには邪悪さなどないと断言したである。

「かれこれペニー・レイン界隈に住んで30年になるのだが、ある時この地域の重要性に気づき始めた。この町が人々の耳の中で、目の中で、彼らの子供時代を象徴すると言うのを聞いたとき、ここが“かつて住んでいた町を思い出してビートルズが曲にした場所”という以上の存在だと気付いたんだ。すべてがペニー・レインに舞い戻ってくる。この町にやってきて、自分の目で見て初めて、その存在感の大きさを実感できるんだよ」と、ベッドフォードがローリングストーン誌に語ってくれた。

Translated by Miki Nakayama

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