伝説の日比谷野音公演、岡林信康と矢沢永吉のライブアルバムを振り返る

矢沢永吉、2004年「FIFTY FIVE WAY」ツアーにて(Photo by Jun Sato/WireImage)





「友よ」を問題の歌と言っていました。どんなふうに問題だったのか? それは1969年に新宿西口フォークというのがありまして、そういう場所で皆が大合唱してこの歌を歌ったんです。学生運動では学生が全面的に負けまして、混迷して敗走を重ねていた時代ですね。学生はどんどん行き場を失った時代です。「友よ」の夜明けが近いっていう歌詞が、楽観すぎるのではないか? 綺麗事じゃないか? ということで批判されたんですね。歌に何の罪もないんですけど、そういう時代でした。岡林さん自身が歌詞を変えて、夜明けは来ないと歌っていたこともあるんです。このライブではちゃんと原曲通りに歌っておりました。1968~1971年というのが、この岡林さんが言っていた4年間ですね。日比谷野外音楽堂というのは、戦前からある音楽堂なんです。でも1960年代には政治集会の場所として使われていたんですね。国会議事堂に向かうデモの集会は、まず野音に集まって国会に向けてデモ行進していく。そんな場所でありました。岡林さんはそうやって集まってくる政治意識の高い人たちに、祭り上げられていたんですね。そこから叩かれるという反動も彼を追い込んでいきました。岡林さんはギターの弾き語りでデビューして、途中からバンドをつけるようになったんですね。それがはっぴぃえんどでありました。次は、1969年に発売になった『わたしを断罪せよ 岡林信康フォーク・アルバム第一集』より「今日をこえて」。こちらはバンドがついております。



この曲を山下達郎さんのライブで知ったという方もいるのではないでしょうか。達郎さんがここ何年かこの曲をカバーしていましたからね。岡林さんはフォークの神様として世の中に紹介されたりしました。初めは弾き語りだったのですが、途中からバンドが入ってきます。「今日をこえて」のオリジナルが収録されているアルバム『わたしを断罪せよ 岡林信康フォーク・アルバム第一集』では、ジャックスのメンバーがバックをつとめておりました。ギターの弾き語りで始まって、バンドをつけるというのは当時一番影響力があったボブ・ディランに端を発していますね。岡林信康さんが1970年のアルバム『岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ』で起用したのが、はっぴいえんどですね。はっぴいえんどは1970年にデビューしましたから、1971年の日比谷野音では柳田ヒロバンドがバックをつけております。柳田ヒロさんは元エイプリル・フールです。エイプリル・フールといえば、小坂忠さん、細野晴臣さん、松本隆さんと一緒でありました。後に吉田拓郎さんと新・六文銭を組むという、1970年代の重要人物の1人です。キーボードが入っているわけですから、柳田ヒロさんのカラー、ちょっとジャズっぽいアレンジになっていますね。はっぴいえんどとはやや違っております。それでは、岡林さんがはっぴいえんどをバックバンドに迎えた2枚目のアルバム『岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ』の曲です。「私たちの望むものは」。

Rolling Stone Japan 編集部

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