伝説の日比谷野音公演、岡林信康と矢沢永吉のライブアルバムを振り返る

矢沢永吉、2004年「FIFTY FIVE WAY」ツアーにて(Photo by Jun Sato/WireImage)





岡林信康さんの「私たちの望むものは」。1971年の日比谷野外音楽堂でのライブアルバム『岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き』よりお聴き頂いております。1960年代の日比谷野音は政治集会の場所でありました。ステージの後ろには垂れ幕でスローガンが掲げられていて、色々な団体の旗がステージを埋め尽くし、その中央で弁士がアジテーションをする場所だったんですね。音楽に使われるようになったのは、1969年に10円コンサートというのが始まってからですね。最初はフライドエッグというバンドを率いていたギタリスト成毛滋さん、そして元ゴダイゴのミッキー吉野さんですね。フライドエッグというバンドはギターが成毛滋さんで、バンドが高中正義さん、ドラムが角田ひろさん(現:つのだ☆ひろ)ですね。2回目の10円コンサートから内田裕也さんが加わってくるんです。1970年になると、「日本語のフォークとロックのコンサート」というコンサートが始まって、音楽に道が開かれるんですね。「日本語のフォークとロックのコンサート」には、はっぴいえんど、吉田拓郎さん、遠藤賢司さん、頭脳警察や岡林信康さんなどフォークもロックも日本語オリジナルの歌を歌っている人たちが集まっておりました。今、皆が思い描くようなコンサートは50年前にはなかったんですね。そんな中でワンマンコンサートができた岡林さんは、どれほど人気があったのかという証明でもあります。岡林さんはこの日比谷公演の後に会場から失踪したり、行方不明になったりして、京都の山奥に隠遁してしまう。そんなコンサートでもありました。

1976年に出たライブアルバム『THE STAR IN HIBIYA』
トラベリン・バス / 矢沢永吉

矢沢永吉さんの「トラベリン・バス」。1976年6月に出た2枚目のアルバム『A Day』の曲ですね。1976年に出たライブアルバム『THE STAR IN HIBIYA』からお聴きいただいております。作詞が西岡恭蔵さんで、作曲が矢沢永吉さん。西岡さんは元ザ・ディランというグループのメンバーでした、URCですね。先ほどの岡林さんの野音から5年後に、この矢沢さんの『THE STAR IN HIBIYA』が開催されました。前の年にキャロルの炎の解散コンサートで、バンドにピリオドを打ってソロになった矢沢さんがここに帰ってきた。「帰ってきたぞー!」という風に叫んでますが、矢沢さんのソロの第一歩というのはかなり苦戦していたんです。それを乗り越えてここに戻ってきたというライブです。キャロルの解散コンサートは、文化放送のスタジオと被って行けなかったんですけど、この「THE STAR IN HIBIYA」は会場にいました。スターというネーミングがとても新鮮に響いた。胸に星の入ったTシャツを着ておりました。そのTシャツは、矢沢さんが自分でスプレーをして作ったんだというのは後になって知りました。キャロル時代とは明らかに違った。そんな曲をお聴きいただきます。1976年の「最後の約束」1975年の「奴はデビル」。続けてどうぞ。

Rolling Stone Japan 編集部

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