史上最高のベーシスト50選

50位 サンダーキャット

Rich Fury/Getty Images

ヒップホップ、ジャズ、R&B、エレクトロニカ等において、過去10年の間にその定義を押し広げたアーティストたち(ケンドリック・ラマー、ジャネール・モネイ、フライング・ロータス、カマシ・ワシントン、エリカ・バドゥ、チャイルディッシュ・ガンビーノ等)の作品には、かなりの高確率でサンダーキャットの名前がクレジットされている。音楽家が多い家庭に生まれたスティーヴン・ブルーナーことサンダーキャットは、若くしてスラッシュパンクの生ける伝説スイサイダル・テンデンシーズでベースを弾き始めた。その後も目を剥くようなテクニックに磨きをかけていった彼は、自身のルーツであるクラシックなファンクやフュージョンを、ヨット・ロックやニューメタル、そしてネオ・ソウル等と融合させた唯一無二のスタイルを確立し、ベース界における英雄として知られるようになった。遊び心に満ちたエキセントリックなオリジナル曲から無数のコラボレーションまで、6弦ベースから繰り出されるファットでリッチ、それでいて十分なエッジを備えたサウンドは常に抜群の存在感を放つ。「一般的な使い方に囚われなければ、どんな楽器も無限の表現力を発揮するんだよ」彼は2013年のインタビューでそう語っている。「ベースは俺にとっての支えであり、最高に頼もしい相棒さ」




49位 ダフ・マッケイガン

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ガンズ・アンド・ローゼズに加入するまで、ダフ・マッケイガンはほとんどベースを弾いたことがなかった。シアトルの80年代前半のパンクシーンの住人だった彼は、ギタリストおよびドラマーとしてのバックグラウンドと、ベースにおける独自のアプローチで「イッツ・ソー・イージー」や「ユー・クッド・ビー・マイン」等にラフなエッジを添えている。ベースの弾き方を学ぶにあたり、マッケイガンはプリンス(「R&Bのリズムにハマってたんだ」彼はかつてそう語っている)、レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズ、ザ・クラッシュのポール・シムノン、モーターヘッドのレミー・キルミスター、そして(意外にも)ポストパンクのグループ、マガジンのバリー・アダムソン等のスタイルを参考にしたという。「マガジンの曲ではベースの存在感が際立ってる。彼はベースにコーラスペダルを繋いでたんだ」ガンズの曲におけるガラスを思わせるスペーシーなベースサウンドを生み出しているコーラスエフェクトの使い方を、彼はそこから学んだという。その個性的なサウンドは、『アペタイト・フォー・デストラクション』『ユーズ・ユア・イリュージョン』において抜群の存在感を放っている。スラッシュやアクセル・ローズと共にバンドのサウンドの核を担った彼は、80年代と90年代のハードロックに大きな影響を与えたが、彼自身はそのことを自覚していない。「誰がそんな風に評価してるんだろうね」彼は以前そう話している。「俺はそういうことに無頓着なんだ。自分のサウンドは気に入ってるけどね」




48位 キム・ディール

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1986年当時、医療事務所で受付嬢として働いていたキム・ディールは、Boston Phoenix紙に掲載された「ハスカー・ドゥ、ピーター・ポール&マリーが好きなベーシスト募集」という広告を目にした。名乗り出たのは彼女だけだったが、彼女の憂いを帯びた歌声とパンク譲りのベースサウンドは、ピクシーズに見事にフィットした。『ドリトル』の1曲目「ディベイサー」の冒頭を飾るヒリヒリするようなベースのトーンや、「ジガンティック」(彼女が作曲した数少ない曲のひとつ)における催眠術のようなシンプルなライン等、彼女のベースは紛れもなく楽曲のアイデンティティとなっていた。彼女はプレイヤーとしてのエゴを排除することで、逆にベーシストとしての自身の魅力を発揮してみせた。「そういうのができなくて、目立ちたがる人もいるわ。特に『本物の』ベーシストはそうかもね」。「ホエア・イズ・マイ・マインド」におけるシンプルなベースパートについて、彼女はそう語っている。「そういうプレイヤーは、自分の存在を作品に反映させようと躍起になる。流すってことができないのよ」




47位 リーランド・スカラー

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シンガーソングライターが全盛期だった70年代のセッションミュージシャンに求めれられたもの、それはシンガーあるいは楽曲に寄り添い、バラードやミッドテンポのロックをしっかりと支えるスキルだった。その技術を磨き上げたリーランド・スカラーは、ジェイムス・テイラーやジャクソン・ブラウン、キャロル・キング、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュ等の信頼を勝ち取った。「自分たちがあくまで主役のサポートであることを、私たちは理解していた」当時のロサンゼルスのシーンを支えていたスタジオミュージシャンたちについて、スカラーはそう話している。「自分のカラーを無理に出そうとせずとも、私たちはアイデンティティを確立できたんだ」。目立たないがメロディックな彼のベースは、テイラーのクラシックの数々(「きみの友だち」「ハンディ・マン」「Your Smiling Face」等)、ブラウンの「ドクター・マイ・アイズ」や『孤独なランナー』の全編、ジーン・クラークのカルトクラシック『No Other』等で耳にすることができる。80年代には「ドント・ルーズ・マイ・ナンバー」を含むフィル・コリンズのレコードの大半に参加したほか、ウェザー・ガールズのダンスアンセム「ハレルヤ・ハリケーン」ではファンクのタッチを添えてみせた。クロスビーが「世界最高のプレイヤー」と呼んだのも納得だ。




46位 ピーター・フック

Martyn Goodacre/Getty Images

属するシーンも世代も異なるものの、時代を象徴するグルーヴィーなキラーリフを生み出し、筋金入りのアウトローとして数々の逸話を残してきたピーター・フックは、常にキース・リチャーズと比較されてきた。ジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダーのベーシストとして、彼は70年代および80年代のポストパンクにおけるベースの役割を定義し、無数のアート志向の若者たちが「シーズ・ロスト・コントロール」のメロディックなラインや、極端に低い位置で弾くプレイスタイルをコピーした。マンチェスター出身のミュージシャンの多くと同様に、フックはセックス・ピストルズに感化されてパンクバンドを始めた。彼のベースはジョイ・ディヴィジョンにおいてリード楽器の役割を担い、「トランスミッション」や「ノー・ラヴ・ロスト」等の暗澹としたクラシックを生み出した。ハイポジションを多用する個性的なスタイルは、シンガーのイアン・カーティスのアイディアだったという。「俺がハイポジションをよく使うのは、低音が聴き取れなかったからなんだよ。とんでもないオンボロのアンプを使ってたからな。でもイアンは気に入ってた」。ジョイ・ディヴィジョンがニュー・オーダーとして生まれ変わり、「エイジ・オブ・コンセント」等のクラブアンセムを生み出すと、彼は当代随一の人気ベーシストとなり、無数のフォロワーを生み出した。レディオヘッドのコリン・グリーンウッドはこう語っている。「ハイポジションを使ってクールなトーンを鳴らすフッキーのスタイルが好きだった。低音部と高音部を頻繁に行き来する僕のベースプレイは、彼の影響を受けてるんだよ」。物議をかもす発言も数多く残してきた彼は、これまでに爆笑必至の自叙伝を3作発表しているが、(それとは無関係かもしれないが)ニュー・オーダーの他のメンバーとの関係は良好ではないようだ。


Translated by Masaaki Yoshida

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