関係者が今こそ明かす、ワン・ダイレクションが21世紀最大のボーイズバンドになった理由

バンド内の緊迫した人間関係、そしてゼイン脱退

『ミッドナイト・メモリーズ』は2013年、これまで同様11月にリリースされた。そしてこれまで同様、大ヒットを記録した。翌年1Dは自分たちの楽曲をしかるべき場所へ――世界中のスタジアムへ――届けた。人生最大の大舞台のさなか、彼らは4枚目のアルバム制作に取りかかった。タイトルもずばり『FOUR/ フォー』。前年に123公演をこなした彼らは声にも磨きがかかり、新たな可能性が無限に広がった。

「『FOUR/ フォー』では、ギターやシンセやドラムを多用せずとも、彼らの声だけでよりエキサイティングで壮大なサウンドを作り出すことができたよ」とライアンも言う。

「前よりずっとダイナミックで、かつ繊細さも増した」とブネッタも言う。「前の2作では、『ナイト・チェンジズ』みたいな曲は歌いこなせなかっただろうね。『ファイアプルーフ』の柔らかい、情感たっぷりな歌い方も。いろんな経験を積んだからこそ、ああいう抑え気味の歌い方ができるんだよ」




『FOUR/ フォー』は音楽的にも、1Dにとってこれまででもっとも幅広いアルバムだった――天に届くようなピアノロックの「スティール・マイ・ガール」に始まって、やさしく含蓄のあるグルーヴィな「ファイアプルーフ」――それに呼応して感情の幅も広がった。20代前半に差しかかり、「ホエア・ドゥ・ブロークン・ハーツ・ゴー」「ノー・コントロール」「フールズ・ゴールド」「クラウズ」といった楽曲では、青春時代の出来事や幸福感に重みとウィットが加わり、迫りくる大人の一面があちこちに顔をのぞかせている。ワン・ダイレクションの成長過程は世間一般のそれとは違っていたが、非日常的な自分たちの状況から、誰もが共感できる要素を引き出せるほどのソングライターに成長した――「チェンジ・ユア・チケット」では、若きジェットセッターの波乱万丈な恋愛を、遠い昔の恋を懐かしむ胸の痛みに落とし込んでいる。こうしたストーリーは実生活での恋愛が元になっていたが、世界最大のグループになって早4年が経った今、バンド内の人間関係も音楽に反映されるのは当然のなりゆきだった。

「僕が思うに『FOUR/ フォー』は」 ブネッタはいったん言葉を切り、こう続けた。「いくらか緊迫した雰囲気があった。二重の意味を持つ歌がたくさんあった――恋人について歌っているかと思いきや、実はグループにも当てはまる意味が含まれていたりね」

さらに彼はこう続けた。「ああいう状況は難しいよ、羽を伸ばそうにも大勢の目が自分に注がれ、金はたっぷりあるけど休みはゼロ。彼らも大変だったはずだよ、それぞれが成長過程にあって、自分のスペースや意見を構築しつつ、お互いの意思疎通の仕方を学んでいくんだから。目の前の人間関係以上にはるかに大きなものに日々追われていたから、それが歌にも滲み出ていた」


2014年8月4日、『Where We Areツアー』の一環でニュージャージー州イーストラザフォードのMetLifeスタジアムでパフォーマンスするワン・ダイレクション(Photo by Kevin Mazur/Getty Images)

午前3時、日本のホテルの一室でゼインがタバコの煙をくゆらせながら、「ピロートーク」やその他数曲を初めて演奏した時のことをブネッタはこう振り返る。

「めちゃくちゃ最高だった」とブネッタ。「どの曲も超素晴らしかった。音楽面では、彼はツアー先でアルバムを作るやり方では自分を表現できなかったんだよ。彼はスタジオにこもって、時間をかけて、きっちり順序立ててやりたがっていた。ただ、それは不可能だったんだ」

それからおよそ1カ月後、ワン・ダイレクションの『On the Road Againツアー』が16回目の公演にさしかかったところでゼインが脱退した。決して寝耳に水ではなかった、とブネッタとライアンは言う。「彼は不満を抱えていて、バンドから距離を置いて活動したいと思っていた」とブネッタ。「あれだけの数の公演をすべてこなすのは、若い子には重荷だよ。僕らはあの時点で彼らと何年も一緒にいたからね――時間の問題だった。せめて、ラストアルバムの後まで待ってくれたら良かったんだが」

Translated by Akiko Kato

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