プロレーシングドライバーを目指し、10代で渡英。大ケガによる挫折を乗り越え、20歳で音楽の道を志したReN。
孤独な勝負の世界にいた彼を救ったのはエド・シーランやコールドプレイのようなアーティストの存在だった。そしてReNはギター1本でステージに立ち、ループステーションやエフェクターを駆使し、一人でバンドサウンドを奏でていく。異色の経歴を持つシンガー・ソングライターがコロナ禍で見せた新境地「We’ll be fine」。なぜ彼は「僕=I」から「僕たち=We」へと意識が変わったのか? これまでの経歴と合わせてインタビューに応じてくれた。
―そもそもなぜレーサーに?
小学2年生の時に目の前でF1を観たんですけど、クルマというより操縦しているドライバーがカッコいいと思ったんです。グランドスタンドっていう、ドライバーの顔や表情がヘルメット越しに分かるくらい近い席で観戦して。コースと客席の間隔でいうと10メートルくらい。命がけでレースに向かっていく人の「目」を見た時、めちゃくちゃシビれたんですよ。自分もレーサーになりたいと思いました。
―10代半ばでイギリスに行ったんですよね。
小学校の時はランドセルを背負った生活でしたけど、頭の中ではずっとサーキットのこと、クルマのこと、レーサーのことを考えている日々でした。16歳で高校に入って、どうやったらレーサーになれるのかを知り、日本ではプロとアマチュアの境目が曖昧なのと、本気でF1に乗りたいんだったら高校に行っている場合じゃないという現実が見えてしまって。で、小学生から持ち続けてきた情熱で人生に勝負をかけてみたいと思ったんです。そこで自分の環境をイギリスに置いてみて、一からオーディション受けてみようと渡英しました。そして20歳まではF1レーサーになる夢を追い求め、その道を突き進んでいたんです。
―20歳でレーサーを辞めたわけですが、ReNさんにとって音楽は当時どんな存在だったんですか?
20歳の時、晴れてプロになるための契約ができたんです。あるメーカーさんと契約をして、プロドライバーとして動き出した年にレース中に大ケガをしてしまいました。背中をかなり痛めてしまい半年くらいはレースは無理だということになってしまったんです。当時は毎週レースが組まれていたんですけど、一度戦線離脱してしまうと、簡単に戻ることが許されない世界だったので、精神的にもボロボロになってしまって。シーズンを続けるためには現実問題としてスポンサーも集めなきゃいけない。でもレースには戻れない。そんななかで音楽の大切さに気づいたんです。音楽を聴いて鼓舞されたこともありますし、自分が積み上げてきたものが一瞬にしてなくなりかけた時に、僕が頼ってきたのはやっぱり音楽だなと。
小学2年生の時に、ギターのコードを4つだけ覚えたんですね。そのコードを治療中のベッドの上でポロポロと弾いていたら、自分のやるせなさ、悔しさの感情が言葉になっていっぱい出てきたんです。で、その言葉を紙に書いて、メロディをつけて自分なりに歌ってみました。ケガのせいで自分は人間として全てを失ったような気持ちになっていたんですけど、歌った瞬間に自分の中で眠っていたものが放出され、ストレスが一瞬にして浄化された気分になったんです。それで誰かに聴かせるわけではなく、とにかく自分の思っていることを何でもいいから書いてみよう、そしてそれを歌にしてみようと続けていたら、いろんな曲ができた。
―なるほど。
一方でレーサーとして現役復帰することが条件的にどんどん難しくなっていき、区切りをつけざるを得なくなり、その後はさらに歌作りに没頭して。
―レーサーを辞める決断はつらくなかった?
つらかったです。本当につらかったからこそ音楽に全部をぶつけて、自分の中にある悔しさや弱さを歌いました。クルマのハンドルではなくギターを手にすることになったわけですが、これまで同じような感覚でずっと走ってきている感じがあります。