全てはエルヴィスから始まった 1956年と1957年のプレスリーを聴く







1954年7月に発売になった「ザッツ・オール・ライト」、「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」。エルヴィス・プレスリーがローカル・レーベルのサン・レコードで出した最初のシングルのAB面、そしてサン・レコード最後のシングル「ミステリー・トレイン』でした。『ミステリー・トレイン』は、1989年にジム・ジャームッシュという映画監督が同タイトルの映画を作りました。あの映画は、エルヴィスが住んでいたメンフィスが舞台だったんです。そしてエルヴィスの住んでいたグレイスランドという家も登場しておりました。サン・レコードはメンフィスにあったローカル・レーベルで、R&B系のレコードを作っていたところなんです。エルヴィスは18歳、母親の誕生日に4ドルで自分の歌をプレゼントしようと思った。いわゆるアセテート盤というやつです。それをレコーディングしようと立ち寄ったところで、サン・レコードの社長のサム・フィリップスさんという方がたまたまそのレコードを聴いて、なんだこの若者は! ということで始まりました。「ザッツ・オール・ライト」は、アーサークルダップという黒人の古いブルースです。これはたまたまエルヴィスがスタジオで遊んでいた時に、もう1回やってみろ、ということでレコードした曲なんです。曲調はカントリーですけど、歌っている原曲はブルースなんです。これが、エルヴィスが開いた新しい扉ですね。そして、『ミステリー・トレイン』が出た後に『ハートブレイク・ホテル』をRCAレコードから発売、相手が全世界になっていったというヒストリーですね。続いては、1956年の3曲をお聴きいただきます。







自分に落ち着けと言い聞かせながらお送りしております(笑)。「トゥッティ・フルッティ」は、今年お亡くなりになったリトル・リチャードが歌ってヒットしておりましたね。「ローディ・ミス・クローディ」はブルース歌手ロイド・プライス、「シェイク・ラトル・アンド・ロール」もブルース歌手のビッグ・ジョー・ターナーの曲です。エルヴィスはブラック・ミュージックを歌う白人だったんですよ。カントリーのようなギターでブルースをシャウトするという、当時のアメリカのポップス史上に無かったスタイルだった。生まれたのはミシシッピ州のトゥぺロという小さな町で、今でも生家が残っております。部屋が2つしかなく貧しい家庭で、近くにある黒人のゴスペル教会があってそこに通っているうちに、こういう音楽が身についた。エルヴィスがサン・レコードで「ザッツ・オール・ライト」を吹き込んだ当時、彼は電気会社のトラック運転手だったんです。運転手をしながら電気技師の勉強をしていた。その時の給料は週給35ドル。そんな若者が先ほどの『ハートブレイク・ホテル』で、一躍世界的なスターへの道を駆け上がるようになった。これがアメリカのポップミュージック史上、最初で最大のサクセスストーリーだったわけです。「ハートブレイク・ホテル」よりも、次の2曲が世界を席巻し騒然とさせました。1956年7月発売のシングルのAB面で、「ハウンド・ドッグ」、「冷たくしないで」。

Rolling Stone Japan 編集部

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