全てはエルヴィスから始まった 1956年と1957年のプレスリーを聴く





1956年7月発売の「ハウンド・ドッグ」と「冷たくしないで」、シングルのAB面です。「ハウンド・ドッグ」が全米チャート10週連続1位、「冷たくしないで」は11週間1位を獲得しました。アメリカのチャートはジャンルで分かれているのですが、ポップチャートとカントリーチャートとR&Bチャートの3つのカテゴリ全てで1位という歴史的なヒットだったんですね。当時は洋楽のラジオの番組なんて日本では無いに等しかったので、先ほどの3曲はアルバムの中の曲だったんで、ほとんど日本では流れなかったと思います。この「ハウンド・ドッグ」あたりからラジオでもエルヴィスがかかるようになった。「ハウンド・ドッグ」という曲のインパクトは大友康平さんがバンド名にしたり、吉田拓郎さんが広島時代に組んでいたバンド、ダウンタウンズがよく演奏していました。まさにここから始まったと言ってもいいでしょうね。



1956年9月発売の『ラヴ・ミー・テンダー』。予約の段階で100万枚超えでした。これはレコード史上初めて、こういうことも全く当時は紹介されていなかったと思います。エルヴィスは、アメリカでも保守層からは総スカンを食らっていましたからね。悪魔の音楽と言われていたんです。エルヴィスのレコードのシングル盤を割るシーンがニュースで紹介されたり、教育委員会の人がエルヴィスを追放しろというキャンペーンをやったりする、主婦と子供に悪影響を与える、そう言われるような音楽だったんです。その中でサンフランシスコのDJは、エルヴィスの音楽はそうじゃないんだと言って、この「ラヴ・ミー・テンダー」を10何回もかけた、そのDJはすぐにクビになったそうです(笑)。「ラヴ・ミー・テンダー」は初の主演映画の西部劇の主題歌だったんです。最後は亡くなってしまう役柄だったんですが、エルヴィスを殺さないでというファンからの嘆願が殺到して、最後は生き返ったように歌うシーンというのが付け加えられていました。こんな話してていいのかな(笑)? と思いながらお送りしております。MTVというのはまだ無かったんですからね。動く姿は映画でしか見ることができなかったんです。でも、この「ラヴ・ミー・テンダー」は音楽映画の主題歌じゃなかった。この後、音楽映画が公開されるようになります。それでは1957年の全米年間チャート1位だった曲、イギリスでも1位になった曲、大滝詠一さんもポール・マッカートニーも、ビリー・ジョエル、ライ・クーダーもカバーしている曲ですね。「All Shook Up(邦題:恋にしびれて)」、2作目の映画『さまよう青春』の「Mean Woman Blues(邦題:ミーン・ウーマン・ブルース)」、2曲続けてお聴きください。

Rolling Stone Japan 編集部

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