3位ピーター・ガブリエル「イン・ユア・アイズ」『セイ・エニシング』(1989年)キャメロン・クロウ監督でなければこんなシーンは描けないだろう。ジョン・キューザックがアイオン・スカイの家の前でラジカセを掲げ、2人の思い出の曲である「イン・ユア・アイズ」を大音量で流す。同時に彼は、彼女に自分の想いを伝えたいと願っている。クロウ監督は、現代版ロミオとジュリエットのバルコニーのシーンを作り上げた(さらにピーター・ガブリエルのようなプログ・ロッカーをプロムのネタにすること自体もとても変わった試みだ)。実際の撮影時、キューザックの持つラジカセからはフィッシュボーンの曲が流れていたようだが、楽曲が何だろうが大して関係ない。シーンの重要な点は、もしも自分がキューザックの立場だったら、ラジカセからどの曲を流すかを考えさせることだ。
2位ザ・ビートルズ「ア・ハード・デイズ・ナイト」『ハード・デイズ・ナイト』(1964年)ビートルマニアの原点。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴがファンに追いかけられて全速力で逃げている。誰もがリヴァーブのかかった最初のギターコードを聴いただけで、心を奪われる。ビートルズのメンバーは、服を剥ぎ取ろうと金切り声を上げながら狂ったように追いかけてくる女の子たちから逃げようとしているのだろうが、特にジョンは笑いが止まらない。彼らは楽しんでいるのだ(逆にこんな状況を楽しめない人などいるだろうか?)。女の子たちも追いかけるのに夢中で、ロックンロールのスリルに心を奪われたハンターと化している。ビートルズが、楽しむということのコンセプトにどのような革命を起こしたかを象徴するシーンだ。しかしこの時の彼らは、まだスタートしたばかりだった。
1位ザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」『ミーン・ストリート』(1973年)全てはここから始まり、あらゆるものが詰まっている。マーティン・スコセッシ監督は、リトルイタリーを舞台にした悲劇的犯罪映画のオープニングシーンで、ロックンロールにストーリーを語らせるという全く新しい手法を編み出した。深夜、三流ギャング役のハーヴェイ・カイテルの頭の中では「ビー・マイ・ベイビー」が流れ続けていた。フィル・スペクターの作ったティーンのロマンスを歌った楽曲だ。曲に乗って彼の記憶、夢と恐怖、カトリック教徒的罪悪感、ニューヨークの生活などの映像が流れる。彼の世界が3分間の曲に集約されている。しかし見る側は、それが全てではないことを知っている。同様の手法はあらゆる映画で採り入れられ、映画『ダーティ・ダンシング』では同じく「ビー・マイ・ベイビー」を使っている。しかし誰もスコセッシには敵わない。『ミーン・ストリート』ほど音楽と映像を上手く使った作品にはお目にかかっていない。
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Rolling Stone US.