デヴィッド・ボウイとモリッシー、1991年の歴史的デュエットを振り返る

モリッシーとデヴィッド・ボウイ

1991年にLAで行われたモリッシーのライヴにて、デヴィッド・ボウイとのサプライズ共演が実現した。しかしその数年後、二人の関係にヒビが入ってしまう。

マンチェスターに暮らす気難しいティーンエイジャーだったモリッシーは、恐ろしく単調でつまらない毎日から逃避させてくれる音楽界のヒーロー、デヴィッド・ボウイ、T・レックス、ニューヨーク・ドールズに夢中だった。彼が初めて観に行ったコンサートは、1972年6月16日のT・レックスだった。その数カ月後には、デヴィッド・ボウイが、『ジギー・スターダスト・ツアー』で街にやってきた。モリッシーはファンレターを渡すため、会場の外でボウイを待った。

「彼は黒のメルセデスから出てきた」モリッシーは2013年の自伝(訳注:日本版は2020年刊行)でこう記している。「先人からのあらゆる知恵を使い、20センチくらいの歩幅で、ハイヒールを引きずりながら歩いていた。彼はシャープに微笑むと、冴えない少年が手渡したファンレターを受け取った。燃え上がる魂は(自分の着ている)学校の制服よりもずっと輝いていた。かくして僕は、この不可解なまでに開放的な改革者の手に触れたのだった」

【音声】デヴィッド・ボウイとモリッシーによるT・レックスの「コズミック・ダンサー」デュエット

あの日、ボウイにファンレターを渡した13歳の少年が、20年後にロサンゼルスのザ・フォーラムでコンサートを開くばかりか、アンコールのためにボウイ自身がステージに上がり、T・レックスの「コズミック・ダンサー」を一緒に歌ってくれるなんて夢にも思わなかっただろう。「極度の疲労から悪あがきしてしまったが、ボウイは堂々としていた。僕のなかにいる12歳の少年——当時の僕は、登校前に『スターマン』を聴かないと学校に行けなかった——が、信じられないような瞬間を経験した。でもその瞬間は夢ではなかった」と、モリッシーは自伝に記している。

3年後、モリッシーはボウイの『アウトサイド・ツアー』で前座を引き受けたが、客からの評判が芳しくなかったため、病気を理由に早い段階で降板している。しかしその2週間後には、自身の日本ツアーを敢行した。このときの降板劇をボウイはずっと忘れなかったのだろう。2006年、トニー・ヴィスコンティからの依頼で、「ふられた気持」をモリッシーとデュエットしないかと持ちかけられたが、彼は断っている。「この企画は名案だと思ったが、デヴィッドは決して譲らなかった」と、2014年にモリッシーが話している。「以前、僕がデヴィッドを批判したのは承知しているけど、あれは鼻垂れ中学生の悪ふざけだったんだ。彼はわかってくれてると思う」

2013年に「The Last of the Famous International Playboys」をリイシューした際、モリッシーは2人が写っている写真を使用したいと申し出たが、ボウイの許可は下りなかった。どうやらボウイは「中学生の悪ふざけ」とは思っていなかったようだ。2016年の8月、モリッシーはコンサートで、同年に他界した大スターとしてコメディアンのキャロライン・エイハーン、モハメド・アリ、プリンスの名前を挙げたが、ボウイについては言及しなかった。客観的に見れば、ボウイはその年の初めに亡くなっており、2人の間に多少の気まずさがあったとしても、モリッシーがボウイを敬っていないとは考えにくい。でもひょっとしたら、意図的に触れなかったのかもしれない。そればかりはモリッシーのみぞ知るところだ。

From Rolling Stone US.

Translated by Rolling Stone Japan

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