ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』知られざる10の真実

ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』ジャケット画像

ザ・バンドの結成から解散までを追ったドキュメンタリー映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』が、10月23日(金)より角川シネマ有楽町、渋谷WHITE CINE QUINTOほか全国順次公開される。同映画でも大きくフィーチャーされているのが、音楽史に燦然と輝く彼らのデビューアルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』。古びたモールス信号送信機器、バーベキューグリルでの大火傷、裸のヒッピーのダンスまで、ルーツロックの金字塔にまつわるエピソードの数々を紹介。

波乱に満ちた1968年の夏に発表された『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』は、人々の心を癒す穏やかなサウンドのレコードだと捉えられがちだが、それは大きな間違いだ。ザ・バンドのデビュー作は、静かに革命の火を灯すようなアルバムだった。シーンがサイケ一色に染まりつつあった当時、カントリーやブルース、ゴスペル、ウェスタン・クラシカル、そしてロックを融合させた彼らのサウンドは新鮮で刺激的だった。ジミ・ヘンドリックス、クリーム、ザ・フー等が歪んだサウンドで鼓膜を揺さぶったのに対し、ロビー・ロバートソン、リヴォン・ヘルム、ガース・ハドソン、リック・ダンコ、そしてリチャード・マニュエルの5人はボリュームを下げ、楽曲の繊細なアレンジと深みのある歌詞を際立たせた。当時ビートルズやブライアン・ウィルソンが、スタジオで高度な技術を駆使した実験に明け暮れていたのに対し、ザ・バンドはキャッツキルの大自然に佇む湿っぽいコンクリート造りのワインセラーで、音楽の女神が微笑む瞬間を待ち続けた。不要なものを全て削ぎ落としたそのサウンドとスタイルは、当時の業界の常識に対する強烈なアンチテーゼだった。

「僕たちは反乱軍に対する反乱軍のような存在だった」ロビー・ロバートソンは後年にそう振り返っている。「他のやつらが東に向かうなら、僕たちは西に向かう。口に出さずとも、僕たちはそういう感覚を常に共有していた。まさに鉄の意志を持った反逆者の集まりさ。他の集団から距離を置くっていうのは、僕たちの本能だったんだ」



優れたソングライティングと演奏力のみによって、5人はボブ・ディランのバックバンドという世間のイメージを払拭してみせた。「彼らは10代の若造なんかじゃなかった。既に確かな経験を積んでいた彼らのデビューアルバムは、ピークを迎えたバンドのように洗練されていた」プロデューサーのジョン・サイモンは1993年にそう語っている。「楽曲はコンテンポラリーのアーティストの作品というよりも、アメリカの地に長年眠っていた財宝のような輝きを備えていた」。ディランが書いた「アイ・シャル・ビー・リリースト」(ディランは「怒りの涙」と「火の車」にも共同作曲者としてクレジットされている)目当てだったリスナーの多くは、同作のハイライトであるロバートソン作曲の「ザ・ウェイト」等の奥深さに驚かされたに違いない。

田舎への移住はロックンロールにおけるクリシェとなっているが、ザ・バンドはその先駆者であり、そうすることの意義を証明してみせた。「本作は約2週間で制作された」5つ星評価を与えた本誌のレビューにおいて、筆者のアル・クーパーはそう記している。「人里離れた環境では、大抵の人間が堕落した日々を過ごす」。しかしリヴォン・ヘルムは、同作があらゆる方面から賞賛されたわけではないと話している。「僕らがいるウッドストックの地元紙では、アルバムの出来はまぁまぁで改善の余地ありってレビューされてたよ」

この歴史的名作にまつわる知られざる10の事実を、以下で紹介する。

Translated by Masaaki Yoshida

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