ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』知られざる10の真実

8. ザ・バンドは当初、The Crackersの名でCapitolと契約していた

ザ・バンドのメンバーたちは1960年からザ・ホークスとして活動していたが、8年後にグループ名の変更を強いられた。第一にそのグループ名は、60年代初頭に一世を風靡したものの既に時代遅れとなっていたロカビリーの申し子、ロニー・ホーキンスのバックバンドというイメージが付いてしまっていた。より大きな問題だったのは、反戦ムードが高まる中で「hawk」という言葉が軍隊の支持を思わせるようになっていたことだった。それは平和主義のカナダ人たち(ヘルムはアメリカ人)にそぐわなかったうえに、60年代後半の業界にロックバンドを売り込む上で不利だった。しかし、彼らはウッドストックにおいて文字通り唯一のバンドだったため、その問題はしばらく棚上げされていた。

1968年1月20日にカーネギー・ホールで開催された、ウディ・ガスリーのトリビュートコンサートでディランのバックバンドを務めた時点でも、グループ名の問題はまだ解消されていなかった。「僕たちが裏口から機材を搬入していると、バックステージの警備をしていた老人がこう言った。『おい、お前らなんてグループだ?』」ヘルムは自伝にそう綴っている。自虐的(倫理的にはやや不適切)なジョークのつもりで、彼はThe Crackers(南部の無知な白人を指す)だと答えた。彼自身はそのことなどすっかり忘れていたが、コンサートから数週間後にCapitol Recordsと契約を交わそうとしていた彼らは、いよいよバンド名を決める必要性に迫られていた。リチャード・マニュエルは冗談交じりに、The Marshmallow OvercoatsとThe Chocolate Subwayという、いかにも『サージェント・ペパーズ』的サイケデリアとフラワーパターンを連想させる名前を挙げた。ロバートソンもジョークで対抗し、The Royal Canadians Except for Levon(レヴォンを除く忠実なカナダ人たち)という案を出した。それに対して南部出身のヘルムは、今度は真剣にThe Crackersという名前を提案した。「南部の愚か者たちを指す言葉は、僕たちが作っている音楽にフィットしてた」彼は『ザ・バンド 軌跡』でそう述べている。「僕は本気だったし、少しも後悔していない」

他のメンバーたちは彼に同意し、その言葉の真意を知らなかったレーベルの重役にその意向を伝えた。「当初、レーベルはその名前を気に入った様子だった」ロバートソンは『ザ・バンドの青春』にそう記している。「彼らはクラッカーのリッツやハニージンジャーのことだと思っていて、無知で偏屈な南部の田舎に住む白人のことだとは知らない様子だった」。結果的に、Capitolと交わした契約書のグループ名には「The Crackers」と記された。

『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』がThe Crackersのレコードとして発表されなかった正確な理由については諸説ある。ヘルムによると、Capitolの誰かがその名前の真意に気づいたのだという。「1968年7月1日にアルバムがリリースされた時、The CrackersではなくThe Bandとクレジットされているのを知って驚いた」彼はそう綴っている。「実のところ、それは確かに僕たちの名前だった。ウッドストックに住む人々は皆、僕たちのことをザ・バンドと呼んでいたのだから。The Crackersという名前をよしとしなかったCapitolの重役たちは、『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』をザ・バンドのレコードとして発表した」。一方ロバートソンは、グループ名の変更はメンバー全員で決めたことだと一貫して主張し続けている。「ウッドストックにはバンドなんてほとんど皆無だったから、友人や住民たちはみんな僕たちのことをザ・バンドって呼んでたし、僕たち自身その名前に慣れていた」彼は同作のリリース後に本誌にそう語っている。

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興味深いことに、1968年9月にThe Eye誌に掲載されたインタビューで、ロバートソンはザ・バンドという名前は(プリンスのような)匿名性の象徴だと述べている。「はっきりさせておきたいのは、僕たちには名前なんかないってことだ」彼はそう主張している。「僕たちはレコードのプロモーション活動には興味ないし、アルバムを売るために『ジョニー・カーソン』に出るつもりもない。あのグループ名は僕たちのクリスチャンネームに過ぎないんだ。あのレコードがザ・バンドの作品として発表されたのは、そうしないとレコード店に置けないからだよ。それに、友達や近所の住民はみんな僕らのことをその名前で呼んでたしね」。同月に「ザ・ウェイト」が1stシングルとしてリリースされた時、批評家たちは同曲のクレジットを「ジェームス・ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソン、レヴォン・ヘルム」としていた。プロモーション用のポスターも同様だったが、その多くには「通称ザ・バンド」という但し書きが添えられていた。

Translated by Masaaki Yoshida

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