浅井健一の尽きない創作意欲、コロナ禍での日々からブランキーの話まで語る

―思ったりしたんですけど、「送る歌」のご友人は、その本の中に出てくるイマちゃんなんですか?

そうだね。

―《初めからずっとパンクだった》と書かれていましたが、昔のバンド仲間だったそうですね。

そうなんだわ。ロメオズ・ディストレスってバンドを組んでたんだよね。18、9とか20とかのあたりにね。イマちゃんは昔からセンスが良かったね。服もそうだけど、聴いている音楽が良くて、キュアーとか。キュアーはパンクじゃないけど、あそこらへんのバンドが流行った時代。日本だったら、LAUGHIN’ NOSEがバーンと出てくる前、名古屋でもこっちでもパンクがようやく出てきた頃、THE STAR CLUBが全盛でさ、その頃の人なんだけど、昔から音楽の感覚がかっこよかったかな。すごい暗いんだわ。

―キュアーみたいな暗さってことですよね?

そうだね。イマちゃんが作る曲もなんかすげえ暗くて(笑)。イマちゃんは名古屋にずっといたから、俺が東京に来てからは名古屋でライブやった時にたまに会うって感じで。そしたら、8、9年前に突然、東京の人と結婚したんだ。ほんで、成城の辺に住み始めて、何かの運命かなと思って、その時、俺、アルバムを作っとったで、「イマちゃん、ベース弾いてくれる?」って頼んでさ。ベーシストだで、うちに呼んで何曲か完成させようと思ったんだけど、覚えが悪くって、何回言っても覚えてくれんもんだでやれんかった。でも、1曲、イマちゃんが弾いとる曲あるよ。「PLAY」って『OLD PUNX VIDEO』ってシングルに入ってる。彼は自分のバンドを持っとって、自分の曲は覚えられるんだね。そういう人だわ(笑)。言うことがめちゃめちゃ深くて、すごくやさしい人間で。照ちゃん(照井利幸)と出会う前からの友人なんだよ。もろパンクでもないんだね。暗いパンクと言うか、ポジパン(ポジティヴ・パンク)と言うか。俺と同じ音楽の趣味している数少ない名古屋の友人だった。プラモデルが好きだったね。全部、戦闘機(笑)。めっちゃうまくて、イマちゃんがくれたやつ、ここにあるよ。ものすごい精巧に作られているんだけど、こういうのが部屋中に飾ってあった。

―「送る歌」は悲しさも伝わってくるんですけど、曲調もどことなく明るくて軽やかで。

悲しい時に暗い歌は歌いたくないよね。

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