パリス・ヒルトンの正体 インフルエンサーの元祖がはじめて明かした虐待経験

パリス・ヒルトンは時代が求めるフェミニストか?

ドキュメンタリーの中でこうした出来事を語る際、ヒルトンは動揺の色を隠せない。今でも夢に見るそうだ。ドキュメンタリーの終盤では、彼女が立ち上げた反虐待キャンペーン#BreakCodeSilenceに賛同するプロボ校の卒業生と対面。虐待経験者との対話や、虐待が原因で5人の暴力的な男性(実名は明かしていない)と付き合ったという告白から、ドキュメンタリーが本来目指したテーマが伺える。つまり、問題を抱えたティーン向けの学校について、自らも経験した無数の虐待について、それが自分や被害者の生活に及ぼす影響についての物語だ。

「今の地位を築くまでものすごく苦労したわ。今の完璧で、ハッピーな人生があるのもそのおかげよ」と彼女は言う。「(虐待の)事件は、今の地位とはまったく関係ない」。もう少し虐待の話を掘り下げ、彼女の地位を控え目に描いていれば良い作品になっていただろう。海に面したミコノス島のインフィニティプールに身を浮かべ、無償提供されたデザイナーブランドの服を物色し、国際線のフライトに乗る時しかガウンは着ないの、と茶目っ気たっぷりに語る現在のヒルトンを描くのではなく。

現代の女性蔑視的文化は、虐待被害者に被害者「らしく」ふるまうことを要求する。ヒルトンはそうした部類に当てはまらないし、そうする必要もない。だが『This Is Paris』は皮肉にも、ヒルトンが本格的に活動家として自分を再構築したのは過去のトラウマがバネになっている、と言わんばかりだ。彼女がそうした役回りに最適かどうかは別として。

Nasty Galのソフィア・アモローソやキム・カーダシアンをはじめとするセレブリティが経済的成功を収め、ミレニアム世代の独立女性の代表格としてメディアから称賛を浴びる中、#girlbossや叩き上げの女性起業家の原型ともいえる彼女も近年再び注目を集めている。えてして#girlbossは、父系社会への戦いを掲げつつ、それを逆手に取った白人女性であることが多い。多大な特権の結果として彼女たちが収めた成功は、しばしば労働倫理のおまけとみなされる(この点は、圧倒的に男性主体のDJの世界で女性であることの難しさをヒルトンがたんたんと語る場面で改めて実感した。もっとも、ヒルトンが1回のDJセットで100万ドルのギャラを稼ぐことを考えれば、文字通りに取るのは難しいが)。

#girlbossフェミニズムの主張は、蓄積された富が女性の手にわたることをもってフェミニズムの勝利としているように見える。女性参政権運動も、1970年代の女性解放運動も、性的暴力の撲滅を訴えるTake Back the Night抗議集会も、最終的には自分の度量を世に示すための戦いだったのだ、と。

『This Is Paris』は公開後、タブロイド紙をにぎわせるバカなブロンド娘ではなく、不当な扱いを受けた博愛主義者兼ビジネスウーマンがトラウマを乗り越えて、代弁者へと転身するという、真のパリス・ヒルトンを包み隠さず描いたとして絶賛された。だが実際のところは、#girlbossフェミニズムを神格化し、女性の自立性が人格や困難への耐性ではなく、高い自意識と逆手に取る手腕で判断されたらどうなるかを示した作品だ。

X世代のパリス・ヒルトンも、Z世代のパリス・ヒルトンも間違いだと『This Is Paris』は告げる。彼女はおバカなブロンド娘でも、女性の自己改革の代表格でもない。痛ましいトラウマを負った女性であり、かつ多額のお金を操ってもっと稼ぎたいと願う一人の女性なのだ。おそらく、どちらの顔も真実なのだろう。



(Twitter)
パリス・ヒルトンのツイート
“ヒーローを求めていた彼女は、自分でヒーローになっちゃった。”


Translated by Akiko Kato

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