リー・カースレイク死去、オジー・オズボーンらが思い出を振り返る

しかし、カースレイクの『ブリザード・オブ・オズ』と『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』への参加は、ベーシストのデイズリーと同様に後に削除され、10年後に再発表された際には再レコーディングが行われていた。この原因は、オジーと彼の以前のバンドメンバー間で、印税と作曲のクレジットを巡った長い裁判沙汰だった。最終的には、カースレイクはアルバムのリリース前に脱退、そして別のドラマーのトミー・アルドリッジが『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』のドラマーとして表記された。

カースレイクが末期癌と診断されたことを受け、彼とオジーはこれらの問題の解決にあたった。最終的にオジーはカースレイクの貢献を認め、彼にプラチナレコードを送った。



アルティメット・クラシック・ロックのインタビューに対して、カースレイクは、「最近僕は、シャロンとオジーに手紙を送ったんだ。彼らになんとか『ブリザード・オブ・オズ』と『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』のプラチナアルバムの認定証を送ってくれないか、死ぬ前に壁にかけたいんだ、ってね。それが私のバケットリスト(死ぬまでにしたいことのリスト)なんだ。イエスと言ってくれることを願ってる。シャロンとオジーに裁判で負けた時は完全に破産したよ。何十万ドルもかかったし、家だって売り払ってしまった。しかも病気になったんだ。でもプラチナレコードの認定証が壁にかかってれば最高じゃないか。このアルバムを作るのを手伝ったんだって言ってるようなものだからね」と、語った。

カースレイクとデイズリーの貢献はのちに30周年エディションのLPが発表された時に再び表記された。オジーとの決別の後、1982年の『Abominog』からカースレイクとデイズリーは再びユーライア・ヒープに参加した。2007年に脱退するまで、彼はバンドに貢献し続けた。



From:Lee Kerslake, Ozzy Osbourne and Uriah Heep Drummer, Dead at 73

Translated by Kohei Ebina

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