ポルノではなく芸術、世界の官能映画30選

ポルノではなく芸術、世界の官能映画30選(Rolling Stone)

芸術vsポルノ」という概念に挑み、物議を醸した映画は数多い。フルヌード、官能的な3P、金儲け目当てのセックスシーンなど、ポルノ映画と呼ばれてしまうシーンはあれど、芸術作品として今もシネコンで上映され続けている作品もあるのだ。今回は、ローリングストーン誌が厳選した官能映画30本を紹介する。

※本記事は、2014年3月18日に米ローリングストーン誌に初出。

高い期待、過剰な宣伝、頭から紙袋を被った姿で公式の場に現れる主演俳優など——上映時間5時間におよぶラース・フォン・トリアー監督の壮大な2部作『ニンフォマニアック』(2013年製作/2014年公開)の第1巻が劇場で公開された。物議を醸すことを避けるというより、全力でそれを狙っているかのようなデンマークのフォン・トリアー監督が放つ『ニンフォマニアック』はひとりの女性の性の目覚めを描いた壮大な物語で、作品のいたるところにスパンキング、フェラチオ、メナージュ・ア・トロワ、アナルセックス、マスターベーション、そして古き良きスタイルのセックスが散りばめられている。なかにはセックス専用のスタントを起用した場面もあるが、観客の目の前では、シャルロット・ゲンズブールとシャイア・ラブーフといった俳優たちによる、ポルノ俳優顔負けの非擬似セックスが繰り広げられる(同作のオーディションの際、ラブーフは自家製のポルノ動画まで送った)。

ありあまるほどの露骨な性描写にもかかわらず、フォン・トリアー監督の『ニンフォマニアック』はポルノ映画ではない。むしろ『ニンフォマニアック』は、“メジャー”と呼ばれる映画が表現できる限界に挑んだ無数の作品のひとつであり、ネット上でクレジットカード情報を入力してから観る類の映画と同じように扱うべきものではない。『ニンフォマニアック』のような作品のキャストは超一流で、どれもワールドクラスの名監督が手がけている。シネコンと単館映画館の両方で上映されるべき作品なのだ。そのなかには一流の外国映画として輸入されたものもあれば、ハリウッドのスタジオでプロデュース・制作されたものもある。だが、今回紹介する30本にはひとつの共通点がある。それは、メジャーな官能映画の限界ギリギリに挑戦したことだ。愛する人と一緒に今回の閲覧リストをお楽しみいただきたい。

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1.『私は好奇心の強い女−イエロー篇』(1967)

Photo: Mary Evans/Ronald Grant/Everett Collection

政治とセックスを描いたスウェーデンのビルゴット・シェーマン監督のメロドラマ映画『私は好奇心の強い女−イエロー篇』が1969年にアメリカの検閲に引っかかった原因は、陰毛の描写だけではなかった。同作は、最高裁判所が取り扱うわいせつ事件にまで発展し、いまでも映画史上最大の問題作のひとつとされている(レナ・ナイマンとボリエ・アールステットが陰毛の一部を見せたことは、スウェーデン映画がほかの外国映画と一線を画すことを証明する上で間違いなく一役買った)。妻帯者の男と関係を持つ好奇心旺盛な女子学生を描いた同作が検閲で問題になったのは、ナイマンが共演者の丸見えの男性器にキスをするシーンがあったからだ。そのシーンに対する批判が殺到したものの、最終的には検閲という障壁が取り払われ、映画において寛容な表現が許される時代が訪れた。同作を観た人は、誰ひとりとしてキング牧師のインタビュー映像、ベトナム反戦運動の映像、気の利いた反権威主義的なユーモアについては語らず、ただ性器のシーンだけに注目した。だが、好奇心と論争のおかげでより多くの人が観る結果となった。後は知ってのとおりだ。(Writer: DAVID FEAR)

2.『アメリカを斬る』(1969)

Photo: Courtesy of Everett Collection

シネマトグラファーから映画監督に転身したハスケル・ウェクスラー監督による、フィクションとノンフィクションが織りなす『アメリカを斬る』(1968年のシカゴ民主党大会で実際に起きた暴動の映像も含む)は、リアルなシチュエーションで触れ合う俳優たちの演技を観る緊張感に支えられている。だが、あるシーンがいくらか生々しすぎるとアメリカ映画協会(MPAA)委員会に目をつけられた。そのシーンとは、のちにタランティーノ監督の寵児となるロバート・フォスターとマリアンナ・ヒルが丸裸でセックスに興じ、文字通りシーツに絡まりながら事を終える場面だ。まるでドキュメンタリーのようにリアルなふたりの逢引のシーンのせいで同作はX指定(成人向け)となったが、ウェクスラー監督はそれよりも劇中の政治的な怒りの表現がX指定の原因だと主張した。それでも、やはり例のセックスシーンに何らかの原因があったというのが本誌の見解だ。(Writer: DAVID FEAR)

3.『恋する女たち』(1969)

Photo: Copyright © Courtesy Everett Collection/Everett Collection

イギリスの作家・詩人・批評家のD・H・ローレンスの同名小説を見事に映画化したケン・ラッセル監督の『恋する女たち』は、エキセントリックなラッセル監督が手がけた、控えめで“上品な”作品のひとつとされてきた。アラン・ベイツとオリバー・リードの裸のレスリングのシーンを除いてはーー。多くの人にとってこのシーンは、メジャー映画で男性のフルヌードが初めて披露された場面でもある。このシーンには、次のような逸話がある。ベイツとリードは撮影に乗り気ではなかったが、ある夜ふたりは酔っ払って一緒に用を足しに行き、それぞれの下半身をチェックした結果、何も気にすることはないという結論に至った(リードが「もっと意味深に見えるように何とかして半立ちにし、ガールフレンド全員から『やめときなよ』と見捨てられないよう必死だった」と言ったように、彼はテイクの合間に現場を離れていたことを踏まえると、実際には気にしていたのかもしれない)。このシーンはプラトニックな男の絆を描いているが、いま観ても同性愛の要素があることは一目瞭然だ。事実上の男と男のセックスシーンである。(Writer: BILGE EBIRI)

4.『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)

Photo: Courtesy of United Artists

ストラヴィンスキーの「春の祭典」のようにセンセーショナルではなかったにせよ(米映画評論家のポーリーン・ケールが当時このように評価したのは有名な話)、ベルナルド・ベルトルッチ監督の独創的な『ラストタンゴ・イン・パリ』は、映画の性描写の潮流を変えた作品だった。イタリア出身のベルトルッチ監督は当初、ドミニク・サンダとジャン=ルイ・トランティニャンというふたりのフランス人俳優を主役に起用したいと考えていた。だがサンダは妊娠したばかりで、トランティニャンはヌードNGだった。そこで監督は新進気鋭のマリア・シュナイダーを、さらにはマーロン・ブランドを起用して人々を驚かせた。まもなくしてブランドは、『ラストタンゴ・イン・パリ』を通じてより魅力的で深みのある瞑想的なイメージを確立した。同作でブランドは妻に先立たれ、人生に疲れ果てた中年男を演じている。この名もなき男は、パリのアパルトマンの空室で出会った若い女性とのアスレチックで概してクリエイティブな逢瀬に世界からの逃避を求める。当時の観客は、大物映画スターが肛門に指を入れられるシーンに慣れていなかった。いま観ると同作のセックスシーンはどちらかといえば控えめだが、いかにして肉欲が境界を破壊するかを追求した点では、いまでも一見の価値がある。一度観れば、「バターを取ってきてくれ」ということばの捉え方が永遠に変わってしまうだろう。BILGE EBIRI

Translated by Shoko Natori

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