ジョン・ボン・ジョヴィが語る、2020年のアメリカと白人であることの葛藤

社会問題と向き合う理由

―キャリア初期のころ、社会問題を題材にした曲を書きたいと思ったことはありましたか? あるいは、ファンからなにかしらの要望があったんでしょうか?

ジョン:実際のところ、俺はいつも社会問題には敏感だったんだぜ。冷静に見てもらえば、「夜明けのランナウェイ」も社会的な曲なんだ。マンハッタン行きのバスに乗っていたとき、ふとバスを降りてアップタウンのスタジオまで歩いて行こう、という思いがよぎったんだ。おい、俺の人生はこれでいいのか? 答えはノー。俺は21歳で、ロックバンドのリードシンガーになることしか考えてなかった。生まれ育ったニュージャージー郊外は、諍いや問題とは無縁だった。俺はもろ労働者階級の出身で、誰一人大学を卒業しちゃいない。俺は大学にすら行ってない。それが俺、俺の過去さ。数年後に出した「キープ・ザ・フェイス」も社会問題を意識した曲だ。(油田地帯のバラード)「ドライ・カウンティ」も、あの当時世界のあの辺りで起きていたことを歌った曲だ。過去の作品を振り返れば、こういうテーマの曲は他にもあるが、こんな作品(『2020』)みたいなのはない。21や25じゃなく、58歳の俺から作られるべきアルバムだったんだ。

―『2020』の楽曲は一部の保守的なファンの意に沿わないかも、と思うことはありますか?

ジョン:批判されるだろうね、政治的だと思われるだろうから。それは避けられない。でも他にどうしろっていうんだ? 自分をごまかして、適当に曲を売ってろって? 今、人生のこの時期にやらないでどうする? 今は36年ぶりに「禁じられた愛」をリメイクするよりも、主張のある曲を作るほうが自分にとってずっとずっと大事だった。そういう曲に全く興味がない時期もあるだろう。でもどういうわけか、あの時は書きたかったんだ。



―あなたは熱心なアメフトファンですよね。「ブラザーズ・イン・アームズ」という曲には“膝をつく奴の存在を勝手に解釈したり、定義するな”という歌詞が出てきます。明らかにコリン・キャパニックのことですよね。彼の抗議についてどう思いますか? スタジアムに必要だと思いますか?

ジョン:ああ、世間に俺の意見をぶちまけられたらいいんだがな。(間をおいて)俺の意見は、コリン・キャパニックは星条旗にたてついて跪いたわけじゃない――彼は人種格差や警察の改革に対抗してああいう行動をとった。NFLは筋を取り違えて、それを修正しようともしなかった。だからあれは国旗への侮辱ということにされた。もし国旗への侮辱なら、俺も騒ぐ連中を完全に理解できただろう。そういうのはスタジアムにはいらない。コリン・キャパニックはそうした運動の代弁者で、その結果、生活を失ってしまった。国旗にたてつくような奴がいれば、俺も喜んで相手になってやる。俺はこの国が重きを置く価値観を愛しているが、NFLは筋を取り違えたと思っている。彼が跪いた理由はそこじゃない。

―彼の行為の理由は間違って解釈された、あるいはほかの理由にすり替えられたと?

ジョン:そうだ。いいか、すべては小さなバンパーステッカーに集約されている。「愛せよ、さもなくば去れ」。この国が好きじゃないなら、出ていけ。俺も完全に分かるし、はっきり言って賛成だ。祖国に反抗するなら、出ていけばいい。でも、彼がやろうとしていたことはそうじゃないと思う。


Translated by Akiko Kato

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