トーキング・ヘッズ『リメイン・イン・ライト』誕生の裏にあった「不仲」と「再発明」

トーキング・ヘッズ(Photo by Luciano Viti/Getty Images)

ローリングストーン誌による「歴代最高のアルバム500選 | 2020年改訂版」の関連企画として、重要作の制作過程に焦点を当てた記事を公開する。今回は39位のトーキング・ヘッズ『リメイン・イン・ライト』(1980年発表)について。さる10月8日に発表40周年を迎えた最高傑作で、バンドは大胆なスタイルの融合を成し遂げた。「僕らはしっかりと理解していたわけじゃなかった」とデヴィッド・バーンは振り返る。


●【画像を見る】「史上最高のベーシスト50選」にも選ばれたティナ・ウェイマス



1980年の夏、トーキング・ヘッズがナッソーのコンパス・ポイント・スタジオへ『Remain in Light』制作のため訪れたとき、彼らはほとんど会話を交わすこともなければ、録音できるかたちになっていた曲はただひとつ、「I Zimbra」だけだった。バンド内の口論が長く続いたため、フロントマンのデヴィッド・バーンはベーシストのティナ・ウェイマスの解雇をおおっぴらに検討し始めたところで、また彼はプロデューサーのブライアン・イーノと共に『My Life in the Bush of Ghosts』という実験的なアルバムを制作しているところだった。バーンはトーキング・ヘッズを終えてからの人生ばかり考えていた。ロックバンドのメンバーであることに由来する妥協や喧嘩から、まるっきり自由な人生を思い描いていたのだ。



しかし、バンドがジャムしはじめると、誰も予想しなかったことが起こり始めた。楽曲は彼らの目の前で具体化しだしたのだ。曲ができたというだけではなく、それらの曲はどれもワイルドなグルーヴを持っていて、ファンク、ヒップホップ、ワールドミュージック、ニューウェイヴ、そしてロックの要素を融合したものになっていた。「僕らはポップミュージックが好きだった、本当に」ドラマーのクリス・フランツは2020年の回想録『Remain In Love』でこう書いている。「けれど当時の僕らは、もっと深くへ連れて行ってくれるようなサウンド、みんなが僕らに期待していたものを越えていくようなサウンドをつくることに関心があった」

AC/DCが上階のスタジオAで『バック・イン・ブラック』の制作に励むかたわら、トーキング・ヘッズのメンバー4人はブライアン・イーノの監督のもと、「Born Under Punches (The Heat Goes On)」「Crosseyed and Painless」「The Great Curve」といった楽曲を驚くほどやすやすとつくりあげ、まるでバンドの抱えていた問題は脇に置かれたようだった。ほんの3年前に「Psycho Killer」をつくったバンドの面影がいまだ聴き取れる一方で、これらの曲はなにかまったく違うものだった――しかも、踊れたのだ。

「僕らはアフリカのポップミュージックを聴いていた――(当時)入手できるものだけれど――例えばフェラ・クティ、キング・サニー・アデ、あとはフィールドレコーディングをいくらか」バーンは2017年、米国議会図書館でのトークでこう語った。「けれど僕らはああいうものを真似ようとしたわけじゃない。僕らは全部を解体して、そこから音楽を発展させていったのだけれど、これって車輪の再発明をしているに等しいじゃないかと気付きはじめた。僕らがたどったプロセスは最後にはアフロファンクと近いものにつながっていったけれど、そこに至るまでには遠回りをしたし、もちろん僕らのバージョンはちょっと的を外しているように聴こえた。僕らはしっかりと理解していたわけじゃなかったけれど、道に迷っているうちに、なにか新しいものが出来上がったんだ」

Translated by imdkm

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