ビートルズ最後の傑作『アビイ・ロード』完成までの物語

相次ぐトラブルと中断、そしてセッション再開

音楽に専心していられる場面ではビートルズも順調だった。しかし一旦ほかの物事に、特に問題山積だったビジネスの部分に注意を向けなければならなくなると、事態はもうほとんど災厄みたいになった。彼らの顧問たちは互いに争い合っており、そのうえバンドは、自分たちの作品の権利を取り戻すという、勝者などハナからいないような戦いに巻き込まれてもいたのである。つい先頃ビートルズの楽曲の出版社であるノーザンソングスが、彼らからの資金援助も一切ないままに売却されてしまっていたのだ。しかも、買い戻すための計画も、以下のジョンの発言を受けてすっかり暗礁に乗り上げてしまった。

「俺はスーツ着てデブったケツの上に座ってるような連中に、間抜け扱いされるつもりはないよ」

ポールもアルバム用に起こした新曲「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」でこの事態に触れている。しかし5月6日にまさに同曲を録音したその数日後、バンドの財政面を誰に任せるかを巡って4人は喧々諤々の激論となり、アルバムの作業は突然の中断を迎えてしまった。



それからの2カ月を、彼らはばらばらに過ごした。再びそれぞれの伴侶を伴っての休暇に出かけてしまったのだ。ポールとリンダはギリシャに飛んだ。リンゴとその妻モーリーンはニューヨーク観光だ。ジョンとヨーコはモントリオールで二度目の“ベッドイン”を敢行した。二人は同地で「平和を我等に」を録音してもいる。プラスティック・オノ・バンドの名義でリリースされた最初のシングルになる。それでも作者のクレジットは“レノン&マッカートニー”となっていたのだが、それも常よりも一層、いかにも形だけという空気満々の仕儀だった。

レコーディングが開始されてから4カ月以上が経ったところで、ようやくビートルズもアルバムの実現に向けて本腰を入れ出した。ジョージ・マーティンを迎え、7月と8月の両方にわたって平日のアビイ・ロード・スタジオのスケジュールをほとんど全部押さえたのだ。だが、最初の週の収録現場にはジョンの姿が見つからなかった。ヨーコを伴ってのスコットランド旅行中に事故を起こし、負傷してしまったのだ。

しかし、この事態もほかの三人が仕事に取り掛かるのを止めさせることにはならなかった。彼らは「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」を仕上げ、続けて同じくポールの「ゴールデン・スランバー/キャリー・ザット・ウェイト」へと着手した。ポールはこの時単独で、自身の小品「ハー・マジェスティ」も録音している。このトラックは当初、長いメドレーとしてアルバムに収録しようとしていた作品群を繋ぎ合わせる、そのリンクの一部として用いられる予定になっていた。さらに、このときのセッションで三人は、ジョージの傑作「ヒア・カムズ・ザ・サン」もレコーディングしている。こちらはやはり悲惨でしかなかった経営に関する会議を作者本人がバックれている間に書かれたものだったのだが、特に同曲の持つ脆く儚げな楽天性が、ビートルたちの中でも最も自分の居場所に不満を持っていたかに見える男から出てきた事実には、胸の痛む思いを禁じ得ない。

Translated by Takuya Asakura

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