シャーデーが1985年に語った、音楽との出会いと「引き算の美学」

流行と一線を画した「シンプルな物語」

デュラン・デュランにスパンダー・バレエ、カルチャー・クラブにワムらを含めたほかのイギリス国内の1位獲得アーティストらとは一線を画し、シャーデーは過剰なシンセサイザーの使用を周到に回避している。目にもまばゆい衣装とか、贅沢なミュージックビデオといったものについても同様だ。代わりに彼女は沈着かつ断固たる姿勢で、徹底的に削ぎ落とした中からこそ生まれる優雅さというものを体現して見せている。少し掠れたシャーデーの漂うような歌声と、好んでまとう背中の開いた黒のカクテルドレスとは、何よりもあの、懐かしくも偉大なる1930〜40年代当時のニューヨークのジャズシーンを思い出させずにはいない。最小限の編成によるバンドの編曲スタイルが、ロックンロールよりもむしろジャズの文脈に身を寄せて入ればなおさらだ。

とりわけ本国イギリスにおいては、彼女の成功はジャズの復権といった話題と一緒に括られがちである。しかしながらシャーデー自身は、自分の作品を“ジャズ”と形容することをやはり注意深く避けている。

「たとえほんの1分だけでも誰かが、私たちがジャズバンドを目指しているのだと見做しているなんてことは、考えるだけでぞっとするの」

彼女は言う。

「だってもし本当にそうなら、きっと今よりずっと上手くできているはずだから」


Photo by Paul Natkin/Getty Images

写真の彼女は厳めしく、時に傲慢にも見えてしまいそうだ。しかし本人は開けっぴろげで気さくな人間だった。すべては本能的なものなのだろう。鋲打ちのジーンズに黒の革ジャンという出で立ちで現れた彼女は、こんな午後の時間帯の、ファッションと音楽の世界の震源地たるキングスロードやウェストエンドからは遠く離れた立地にある、彼女の広報担当者のロンドンの事務所というやや控えめな場所にいても、きっちりと決まって見えていた。でも彼女自身は自分がどう映るかについてはほとんど気にもしないそうだ。そして自身のバンドの音楽性についても同様のことを主張する。予謀や打算といったものは一切ないというのである。

「みんなで座って、よし、じゃあこんな音で行こうかなんて話し合って決めたことはまったくない。あまりに自然にああいう音になったものだから、頭で考えたことすらないくらい。曲に取り掛かるとね、だから、そうなるようになっていくのよ。私たちの曲というのは明らかに“ポップス”だわ。だってわかりやすいでしょ? 私が好きになってきた歌たちというのは、この点はジャズの曲でも同じことなんだけれど、そこに物語があるものなの。たとえば(ローランド・カークの)『溢れ出る涙』とか、あるいは(マイルス・デイヴィスの)『スケッチ・オブ・スペイン』とか。あれなんか本当にスペインにいるみたいな気分になるわよ。
ソウルの分野で好きなのはまずスライの『ファミリー・アフェア』。あとマーヴィン・ゲイも。いつもシンプルな物語を語ってくれるから。みんな単純で、見栄を張ったりなんてしようとはしていない。私にとって音楽とはまさにそういうものなの。どこかへ連れていってくれたり、あるいは気持ちを揺さぶってきたりする。自分たちの曲にもそういうふうであってほしいと思っているわ」

Translated by Takuya Asakura

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