リンキン・パーク、2002年の秘蔵インタビュー「俺たちを強くしたのは不屈の精神」

メンバー全員が確固たる労働倫理を持っている

彼とシノダはバンドのヴィジュアル面全般を担っており、『ハイブリッド・セオリー』のカバーも彼らによるものだ。デルソンとボードンは財務面とマーケティングを担当した。ベニントンはTシャツ等のデザインを手がけたほか、シノダと半々で歌詞を書いた。ファレル(『ハイブリッド・セオリー』の制作前にバンドを脱退したが、同作のリリース前に復帰)はバンドのウェブサイトに掲載されるツアーレポートの更新を任されている。彼らが昨年だけで324公演(つまりほぼ毎日だ)こなしていることを考えると、これがいかに大変な作業かは明らかだ。

「こういう言い方が正しいのかどうかわからないけど、彼らはものすごく一緒に仕事がやりやすいバンドだ」。そう話すのは、2000年2月にバンドのマネージャーになったロブ・マクダーモットだ。「レコード契約にこぎつけるまでの苦労を知らないバンドは多い。でも彼らは違う。あのバンドは正真正銘の叩き上げなんだ」

「このバンドは民主主義を実践してるんだ。メンバー全員がバンドのあらゆることを把握してる」。小学3年生の頃に両親と一緒にエアロスミスのライブを観に行き、それがきっかけでドラムを叩き始めたボードンはそう話す(彼の母親のPattyは高校時代に、エアロスミスのドラマーのジョーイ・クレイマーと付き合っていた。彼はそのバンド名を彼女と一緒に考えたことを認めている)。彼は幼い頃から何かにつけてこだわるタイプだった。まだ幼児の頃、彼は部屋の片隅で3時間近くかけて靴紐を結ぼうとしていたという。「自分で結べるようになるまで、頑として動かなかったらしいよ」。彼は笑顔でそう話す。「確固たる労働倫理を持ってるっていうのは、俺たち全員の共通点なんだ」

高校時代からの友人同士であるデルソンとシノダが初めてXeroの曲を書いたのは1996年のことだ。当時のヴォーカリスト、マーク・ウェイクフィールドの代わりにベニントンが加入し、バンド名をハイブリッド・セオリーに改めた時点で、シノダ(ピアニストとしての素養を持つ)は既にプロツールズを使いこなしており、バンドが1999年に発表した自主制作EPをプロデュースしている。



ボードンはシノダのスキルを示す例として、『ハイブリッド・セオリー』に収録されている「ポインツ・オブ・オーソリティ」を挙げる。「ブラッドがあるリフを考えついたんだけど、マイクはそれを自分のコンピューターに入れて、細かく切り刻んだ上でアレンジし直したんだ」。



ボードンによると、そうして出来上がったリフは原型をほぼ留めていなかったという。「ブラッドは自分のパートをコンピューターから教わることになったってわけさ」。生まれ変わったリフを聴いたデルソンは、少しも気を害したりはしなかった。「マイクは天才さ。トレント・レズナー級のね」

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE