リンキン・パーク、2002年の秘蔵インタビュー「俺たちを強くしたのは不屈の精神」

リンキン・パーク:前列左からジョー・ハーン、デヴィッド・「フェニックス」・ファレル、ロブ・ボードン、ブラッド・デルソン、後列左からチェスター・ベニントン、マイク・シノダ。2001年撮影(Photo by Mick Hutson/Getty images)

21世紀史上最も売れたデビューアルバム、リンキン・パーク『ハイブリッド・セオリー』の20周年記念盤リリースを祝い、2002年のローリングストーン誌インタビューを公開。2017年に亡くなったチェスター・ベニントン(Vo)がデビューに至るまでの長い道のりを語っている。

1999年3月20日、フェニックスの自宅にいたチェスター・ベニントンの携帯が着信を告げた。電話をかけてきたのはロサンゼルスに本社があるZomba MusicのA&Rのトップ、ジェフ・ブルーであり、彼は自己紹介もそこそこに本題に入った。「君をスターにしてみせる。素晴らしいバンドのメンバーとしてね」。そのXeroというバンドは、当時ヴォーカリストを探していた。その日は奇しくもベニントンの23歳の誕生日であり、ブルーは彼がサプライズパーティでもてなされているところに電話をかけてきたのだった。



翌日、ベニントン(ブルーに彼のことを推したのは、LA在住の彼の代理人だった)の元に小包が届いた。その中身はXeroのデモテープ2本であり、片方には前ヴォーカリストの歌が入ったもの、もう一方はそのインストゥルメンタルだった。「君の思うように歌を入れてみてくれ」。ブルーは彼にそう伝えた。ベニントンは自分で考えたヴォーカルのパートをインストゥルメンタルトラックに重ねて録音し、そのテープをFedExでブルーに送り返した。

その2日後、ベニントンはロサンゼルスに飛び、ハリウッドにあるレンタルスペースでXero加入のオーディションを受けた。彼が持ってきたのはお気に入りのマイクといくつかの服、そしてフェニックスにとどまった妻のサマンサから受け取った目に見えないお守りだった。またオーディションに臨むにあたって、彼はアシスタントとして勤めていたデジタルサービス系の会社を退職していた。

「すごくビビってたよ」。サンタモニカのビーチ沿いの通りにあるレストランのブースでそう話すベニントンの隣では、サマンサが穏やかな表情を浮かべている。「多くのものを失う可能性があった。周囲の人の信用を失い、人間関係を損なうかもしれなかった」。幸いにも、彼はそのどちらも失わなかった。1996年に結婚したチェスターとサマンサは、レドンド・ビーチの一角に家を購入したばかりであり、2002年5月には第一子が誕生する予定だ。

「あのテープを受け取った時」。ベニントンはそう切り出した。「2人でこう話してた。『これだ、これこそ俺が求めてたバンドだ。5年くらいかかったとしても、絶対に成功させる」。だが彼の予想は大きく外れることになる。あの電話から3年後、黒縁の眼鏡と下唇のリングのピアス、そして細身の身体からは想像もつかないほどの迫力を誇るシャウトで知られるベニントンは、今やロック界で最もホットなバンドのヴォーカリストとなった。



ベニントンの加入後、Xeroはバンド名をハイブリッド・セオリーに改めた。その後彼らは再び改名し、現在はリンキン・パークと名乗っている。

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE