ロバート・プラントが語る「ツェッペリン以降」の音楽人生、亡きジョン・ボーナムの思い出

70年代に別れを告げること

—シャットダウンが敷かれて以来、日々をどのように過ごしているんですか?

プラント:仲のいい友達や支えてくれる家族、近くや遠くにも友人がいる。だがずっと気心の知れた連中に囲まれて暮らしているから、同胞意識や楽観的な雰囲気がある。俺自身もこの時期強くいられるのは、知人に囲まれているからさ。コミュニティとして機能しているんだ。みな良心的で、思慮深く、それほど強くない人たちを思いやる。自分の存在を実感させてくれるんだ。最高だよ。

それから歌も歌う。いいだろ。歌わなきゃやってられない。エルヴィスばっかりじゃないぜ、今じゃほとんどパブで歌うことはできないからな。何人かおとなしい連中と一緒にソーシャルディスタンスしながらやってる。いい感じさ、暇を持て余すってことはないよ。

—ツアーができなくなって今回の『ディギング・ディープ』アンソロジーを出すわけですが、ソロ時代初期の曲も収録されています。ソロ作品はレッド・ツェッペリン時代とはまったく違いますよね。いま振り返ってみて、バンドが解散した後ご自身はどうやって前に進んだのでしょう?

プラント:俺は32歳だった。あの当時メディアでは、当然といえば当然だが、32になったら一線を退いて次の奴らに道を譲るもんだと思われていた。明らかにツェッペリンは(バンド)メンバーの誰よりも大きな存在だったから、バンドの全体像をとらえるのが難しかった。それとは別に、しばらくはある種の依存状態――慣れ親しんだ顔ぶれ、習慣、気心――それを変えるとなると、全体のバランスが一気に崩れてしまう。俺はやりたいことは何でもできた。実際にやってみなきゃならなかった。それがころころ変わるもんだから、一箇所に落ち着くことはなかった。

70年代に別れを告げることに関してはとくに意識した。あの年代は、ものすごく大きな躍動感にあふれていた。辛いなことに、もちろん楽しいこともたくさんあった。だが前に進まないとな。


1975年、レッド・ツェッペリンとステージに上がるロバート・プラント(Photo by Dick Barnatt/Redferns/Getty Images)

—当時コラボレーションした人々は、ソロ黎明期のサウンドにどんな影響を及ぼしましたか?

プラント:最初の2枚目かその途中、おそらく(1985年の)『シェイクン・アンド・スタード』辺りまで(が一区切り)かな。それからまるっきり違う方向に向かった。ローウェル・ジョージが死んだあとリッチー・ヘイワード(リトル・フィートのドラマー)が加入して、そのあと俺はアーメット・アーティガン(アトランティック・レコード創業者)とニューヨークへ渡り、ハニードリッパーズの仕事を始めた――そこでも別の奴らが加わった。俺にしてみれば、多彩なミュージシャンの才能と音楽が入り乱れる巨大な万華鏡だった。それまで11年、ずっと4人で最高の関係を築いてきたから、他のやり方はまったく分からなかった。いわば秘密結社の一員として引きこもっていたから、大勢のミュージシャンと付き合っていく上でのごたごたとは無縁だった。

俺はたいていの場合、ミュージシャンとはかなり上手くやっている。それもあって、変化を続けるほうが刺激的だと感じるんだろう。来る者もいれば去る者もいる。別の者がやってきては、再び戻ってくる者もいる。それが自然な流れになった。だから誰も長期間拘束されることなく、プロジェクトに取り組める。そうしてると、たまにものすごいアイデアがひらいめたり、ものすごいことが起きたりするんだ。



—ソロとしての最初のヒットは「ビッグ・ログ」でした。あの曲を書いたとき、ヘヴィじゃなくてビッグにしたかった、と最近どこかでおっしゃっていましたね。なぜですか?

プラント:「ビッグ・ログ」はインパクトがあったが、とても美しい曲だったとも思う。開放感もあった。あの時の俺は、今までやってきたことから敢えて離れようと過剰に意識していたんだと思う。おかしなコンセプトだった、70年代にずっとやってきたことから逃れようとして、1982年になって、「いやいや、アンディ・ウィリアムスってわけじゃないが……」って感じさ。

あらゆることを、かたっぱしからヘヴィにしようとした。ただしああいうヘヴィじゃなく……ちょっとばかりギアを上げるみたいな感じさ。180度方向転換して、いままでと正反対のことをしようとして、大胆で無茶なこともたくさんやった。当時世間が求めていたものとは違っていたかもしれないが、あれが今の俺の礎になった。そのおかげで、去年の今頃サンフランシスコのHardly Strictly Bluegrassでスペース・シフターズと最後のギグをするところまでこれたんだ。つねに紆余曲折しながら、常に全力で、たまにはバカもやりながら、流れに身を任せてやってきた。それはそれで良かったと思う。

Translated by Akiko Kato

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