レディオヘッド『キッドA』20周年 絶望を描いた問題作が今の時代にも響く理由

実験に没頭できた時代

2000年は音楽ビジネスにおける最大のピークであり、それゆえビッグネームたちが実験に没頭できた時代であった。そのような実験は、2〜3年早くても遅くても無理だっただろう。ガース・ブルックスは、クリス・ゲインズの名前で自分自身をつくりなおした。『キッドA』がリリースされた2週間後には、リンプ・ビズキットが『チョコレート・スターフィッシュ・アンド・ザ・ホット・ドッグ・フレイヴァード・ウォーター』で初登場1位を獲得した。スターたちはここぞとリスクを背負い「自分はいまやシリアスなアーティストなんだ」という動きをとったし、それにしくじっても、まあ、また来年もあるだろう、という感じだった。しかし蓋を開けてみれば2000年はいわば来年のない年だった。少なくともCDのセールスに限っていえばそうだ。その後、世界中のリンプ・ビズキットたちが苦境に立たされることになった。

『キッドA』がリリースされたのは、ディアンジェロ『ヴードゥー』のすぐあとだった。あの夏、誰もがお気に入りだった一枚だ。どちらの作品も、聴くにはしっかりとした時間がいる――自分なりの見解をあたためるには、この音楽としばらく共に過ごさなければならなかった。これにいらだつファンもいた。というのもレディオヘッドもディアンジェロも、聴衆をすぐさま満足させる曲を書く手練であることはすでにわかっていたからだ(「プラネット・テレックス」や「ブラウン・シュガー」は一度聴けば好きかどうかすぐ判断できる)。しかしこうした冒険の感覚こそ、その楽しみのひとつだった。オーディエンスはこの風変わりな実験に招かれたことを喜んだ――そしてどちらの場合も、飽くことなく聴き続けてきた。



「ザ・ナショナル・アンセム」は彼らの楽曲中で最も荒々しいスペース・ロックのグルーヴに貫かれており、特にライブバージョンにそれは顕著だ――スタジオ収録のバージョンは、意識的に取り入れられた安っぽいホーンでその魅力が損なわれている。「イディオテック」は、彼らのアマチュア的なエレクトロニカを誇らしげに提示している。オウテカやエイフェックス・ツイン、ボーズ・オブ・カナダ、あるいはファンキ・ポルチーニを耳にする前に『キッドA』を発見した新しいリスナーにとっては、彼らの技能は疑わしいものに思えるかもしれない。しかし当時のレディオヘッドのオーディエンスにとって、これらは明らかな参照点であり、「イディオテック」は比較的生々しく荒っぽく聴こえるように意図された、ガレージバンド的なカバーだったのだ。ジョニー・グリーンウッドは明らかに、彼の機材をおろしたばかりのパンクスだった。どすんどすんと不器用な「イディオテック」のビートは、「クリープ」で性急に登場するペダルエフェクターをかませたノイズギターと同じ精神でつくられている。

Translated by imdkm

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